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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2017年02月22日 (水) | 編集 |
人間は愚かなところをまだまだいっぱいかかえて、おろおろしている感じに、私には思えます。

だけど、素敵な人もたくさんいるのだから、もっと人を信じて、未来を信じてみたいと思う。

人は平等だと教えられました。
きっとそうだと思います。
人は命を大事にしなければいけないと教えられました。
そんなことは疑いのないことだと思っています。
だけど、人は愚かな動物で
殺し合いも絶えなくて
偏見に満ち満ちています。

私の中にも愚かな「弱虫」が寄生しているのでしょうね。
でも、きっとこの虫にも天敵がいるはずです。
私は「愚劣な弱虫」の天敵を、たくさんみつけたいと思っています。

まずは諦めないことかな・・・。そうですよ。信じられる人、いますから。
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2015年12月03日 (木) | 編集 |
90才を超えた女性が「母があっちが痛いこっちが痛いと言っていた時、一々めんどくさいなどと半分腹を立てながら母に言っていたけど、自分がその歳になってみると、母の気持ちがよく分かる」とおっしゃいました。

私の母も「この歳になってみんと分からん」と、言っていたのを思い出します。その通りだなと、私も最近つくづく思います。

同じ立場にならないと実感できないことは多いですよね。本当に相手の立場に立つことができれば、この世から禍が消えるのではないかと思います。・・・
2010年11月12日 (金) | 編集 |
少し控えめで、人の心が分かる子は、自分の想いをストレートに伝えないのではないでしょうか。特に、相手、親や先生が忙しく動き回っていると「わたしのことで煩わしてはいけない。邪魔にならないようにしよう」と思ったりして、悩み事を打ち明けられない。そばまで行ってもなかなか「あのね」と言えないものです。

 忙し過ぎる大人は、優しくないわけではなく、その子を愛していないわけでもないのに、そのことに気づけないのだと思います。でも、子どもは意外と大人に気を使うのです。なぜかな・・・。個人差はあるのでしょうね。いわゆる「いい子」は、その傾向が強いと思います。いろいろなものが見え過ぎて、考え過ぎてしまうのかな・・・。


 少しでいいんですけど。五分だけでも仕事の時間を減らしてもらえませんかね。親は数名の子をみればいいけど、先生は数十人から数百人の子をみるわけですから、大変ですよね。特に人気の高い先生は何人もの生徒が、先生の手が空くのを待っています「私も話を聴いて欲しい」と思いながら。とても辛いですよね、先生も。そういう先生は、子どもと語り合いたいはずなのに・・・・・。

 どうにもなりませんか。しなくていい仕事、他の人でもできる仕事、何かあるかもしれません。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2009年11月20日 (金) | 編集 |
また、テレビを見ていて思ったことですけど

生存率0パーセントと宣告された幼児とその家族が、とてもけな気に明るく病と闘っている様子が映し出されていました。私もすごいなぁと、途中から見たのに感動していました。その子にはお兄ちゃんがいるようでした。そのお兄ちゃんは元気で、ニコニコしていました。

ただ、途中からだったのではっきりしませんが、大手術に耐え、懸命に生きている四歳の男の子はもちろんすごいけど、弟にスポットライトがあたっている時に、このお兄ちゃんはどう感じているのだろうと思ったのです。この何も心配しなくていいような健康なお兄ちゃんの頑張りにも、もっと注目してもいいのではないかなぁと感じたのでした。


とても手のかかる子に兄弟姉妹がいて、その子がとても手のかからない、いい子の場合、ちょっと気にしてやって欲しいのです。兄弟がいなくても、家庭の中に大きな問題(例えば親の失業とか、夫婦のいざこざとか、介護とか)を抱えている時、それでも何の心配もしなくていいような子どもがいたら、たまにはしっかりその子をみてやって欲しいのです。

また、学校の中でも、特に心配の無い、聞き分けのいい生徒に、たまには声を掛けて欲しいと思います。

ある子に非常に手がかかる状態にある時、他の子は「これ以上困らせてはいけない」と感じて、とても頑張ってしまうことがあります。自分の欲求を抑制して日々を過ごすいい子を演じている可能性があると思います。子どもは結構いろんなことを考えていて、けな気です。人知れず泣いているかもしれません。

いい子の悲しみや、寂しさや、辛さに、気づいてあげてください。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2009年10月22日 (木) | 編集 |
このブログを読んでくだっさっている方々へ

 未熟な文章を読んでいただいて、本当にありがとうございます。もし、よかったらコメントを書いてくださいませんか。「読んでます」だでもいいんです。名前は作った名前でいいんです。マルコとかドラえもんとか。

 何か学校や家庭のことなどで話したいことや、悩んでいることなどがあったら、コメントを書いてみてください。誰からか分からないようにコメントを書くことができますし、書いたものを公表しないこともできます。そんな時は、拍手をして、コメントを書き、公開しないを選んでください。そしたら、誰からか分からなくてもお返事は書きます。この画面上に書くことしかできませんが・・・。

私としては、感想なども書いていただくとありがたいですが、なんでもかまいません。よろしくお願いします。あまりお役には立たないかもしれませんが・・・・(もちろんアドレスも書いて投稿してくださると、きちんとお返事できます)
2009年05月14日 (木) | 編集 |
 先日、ある方々に「うちの子は、進路を決める時自分で決めたんだけど、正しい情報を知らずに学校選びをしてしまったことをずーっと後悔していた」と話したら、「みんなそんなもんですよ」と言われてしまいました。そう言われた時、とても違和感があって、わたしの気持ちは少しも癒されないのです。
 そういえば、不登校の親の会であるお母さんが「子どもに『誰だってきついのよ』とか『仕方ない』とか言ったらとても子どもが荒れる」という話をしていらっしゃいました。親は慰めるつもりで言ったのだろうし、私に「みんなそんなもんですよ」と言ってくれた方も、労おうとしておっしゃったのだろうと思いますが、この言葉では元気はでないのです。
 私も同じような言葉かけをしてしまったことがあります。あるおばあさんが「おじいさんは不登校の孫に『無理に行かなくてもいい』と言うんですよ」とおじいさんに対する不満をおっしゃっているのに、私は「理解のあるおじいさんでよかったですね」と言ってしまったことがあります。その時、おばあさんの顔はさっと曇りました。しまったと思ったけど、後の祭りでした。
 またこんなこともありました。あるお母さんが「不登校の子どもが笑った時、嬉しくもあったんだけど、こんなあたりまえのことで涙が出るほど喜びを感じてしまう今の状態が辛いんです」と言われたとき、つい「でも、お子さん笑顔が出てよかったですね」と言ってしまったことがあります。いずれも話し手の気持ちをきちんと受け取らずに、自分の価値観が先にたってしまった失敗例です。

 人の話を聴いて共感すると言うのは、結構難しいことですね。ただうなづいて、相手の言葉をそのまま返してあげるだけの方が簡単そうなのに、それができないのです。「すごく辛かった」と言われたら「すごく辛かったんですね」と言えばいいと教えてもらってはいるのですが・・・。
 早く楽にしてあげたいとか、正しい方へ導きたいとか、そういう思いが邪魔するのでしょうね。気をつけます。気をつけましょうね。
 
 話す相手と元気度や立場が対等なら、相手の気持ちを受け取った後、自分の気持ちも我慢せずに、正直に伝えたほうがいいと思います。 かずえ
2009年04月22日 (水) | 編集 |
 今熊本市内では、マンションがたくさん建って、すごく安くなっているらしい。賃貸アパートや貸し事務所を持っている友人が「部屋が空いたままで困っている」と言っていた。「安く貸すよ」と言われたけど、それでも今の私には手が出ない。
 どなたか「家賃はいらないから子ども達のために自由に使って」と小さな家を提供していただけないでしょうか。できれば私が自転車でいけるところに・・・。まぁむしのいい話ですよね。 かずえ