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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2019年06月15日 (土) | 編集 |
ある政治家の発言を聞いていて、痛みを知らない人、不安のない人は、困り感のある人に寄り添うことは難しいのではないかと思いました。全く不可能とまでは思いませんけどね、人には想像力がありますから。


先日ある不登校経験者の話を聴いて、「こんなに長く辛い日々を経験して、どうしてこんなに冷静に語り、辛かった経験を『よかった』と肯定できるのか・・・・・。

その人の経験のあらましは、まじめな登校、訳の分からない突然の不登校、高校留年、中退、楽しく充実した高校・大学生活、
そして優秀なサラリーマン。
過労で鬱、入退院を繰り返し命が危うくなり退職。そして支援団体での経験で夢を見つけ、現在起業して活躍中。

あまりにざっくりとした説明で申し訳ありませんが、この人の経験をどうとらえるかは人それぞれだと思います。

この方の両親は子どものことを大切に思われていたようです。ただ、不登校はよくないことで、なんとか学校へ行ってほしいと思われ、あらゆることを試されたようでした。

子どもが鬱になって、いよいよ命が危ないとなって「命が大事」というシンプルな思いに辿り着かれたようです。さんざん失敗を重ね、試行錯誤の末にたどり着かれた「答」だったと思います。

言葉としては色んなところで色んな人が発っしている言葉です。「答」はあちこちに小石のように転がっています。

私たちはその小石を踏んだり、その小石につまづいて存在に気づいたり、ちょっと拾い上げたりもします。でも、自分の手の中にもっとキラキラした小石がたくさんあると、その小石を握りしめることができません。

自分の手の中にある他の小石をいったん脇に置いて、その「命が大事」という小石だけを握りしめることができたら、
きっと凸凹道を歩くのが楽しくなると思うのですけど。
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2019年06月09日 (日) | 編集 |
最近、引きこもっている人や、そんな状態の子どもを持つ親の事件が続いて、相談件数が何十倍にも膨れ上がったそうですね。

今までどうしていいか分からず、誰にも相談できないでいた人達が動きだしたのはよかったかなと思います。

だけど、ちょっと気になるのは「早く治したい」「早く動き出してほしい」という保護者側の切実な声。そんな気持ちは、動き出したいのに動き出せないでいる人にさらに重くのしかかるのでは・・・・・・

あるニュースでは「(長く動き出せない人は)それだけ苦しんでいるということです」と保護者に訴えている支援者の声を伝えていた。

そのことを気づかせるのはとても大事だと私も思う。もっと子どもの気持ちをくみ取ってほしい。そして焦る保護者たちの気持ちも汲みとらなければ。

一杯いっぱいになっている人に正しいことを伝えようとしても難しい。辛さを丁寧に聴きとることが先ずは必要だと思う。

そして、負の連鎖を断ち切ればいいとも言われていた。

その一つとして、「引きこもりはいけないこと」という考えを見直すというのはどうですか?

犯罪って、普通に社会生活をしているようにみえている人の犯罪が実は多いのではないのかなぁと思うけど・・・・

私ならどうするかな?

誰もが利用するトイレに花を置き続けるとか、心地いい音楽を静かに聞くとか、美味しそうな香りを漂わせるとか、たわいないおしゃべりのできる人を招くとか、無理なくできることを気長に続けてみようとするかな・・・・・


2019年05月30日 (木) | 編集 |
「不登校」という言葉が、だいぶ特別なものではなくなってきたのだろうか、
先日バスに乗ったら、後ろの席の中学生たちの会話から「不登校」という言葉が聞こえてきた。

最近、小学低学年から不登校の子が多くいるという印象を持つおばあちゃんがいる。

一体、学校はどうなっていくのだろうか?

色々改善され、魅力的になっていくのだろうか?

それとも、安易に学校から離れる子が多くなって、雪崩のように崩れていくのだろうか。

学校以外でも学べると思いながら、全ての子どもがそうできない現状があるようで、

安心して通える公的な場所が、それを必要としている子どもたち全てを受け入れられるだけないと、
取り残される子どもが増えるような気がする。

・・・・・でも、子どものために、平和のためにと頑張る大人もいるから、諦めないで。
2019年05月20日 (月) | 編集 |
学校に行けない、あるいは行かない子どもたちのために学習支援をしている所を訪問しました。とはいっても、シンポジウムのチラシを持って行ったのですが・・・

短い立ち話で聞いたこと
・子ども一人ひとりの違いに応じて、対応するのはとても大変。
・学校によっては、ここを視察に来て、出席扱いにしているところがある。
・利用料金は無料だけど、それではとても経営が成り立たないので、払える方には負担をお願いしている。
・企業の寄付を集めないといけない。
・行政が大手の学習塾に委託するようになって、真面目にやっていた所が窮地に陥っている。
・大手塾は、子どもたちへの細やかな対応はできていないようだ。

こんな内容だったと思います。教育機会確保法の影響なのか、フリースクールも増えているようだけど、「子どものための支援」であってほしい。
2019年04月25日 (木) | 編集 |
4月は新年度のスタートの月。気持ちも新たに頑張ろうと一歩踏み出しても、期待通りにいかないことは多い。

思い起こせば26年前、小6の我が息子も担任が替わったので、学校に行けるかもしれないと思ったようで、遅刻もせず3日続けていきました。そして帰ってくるなり「先生ばっかいしゃべって、考える時間のなか」と言って、すっかり行かなくなりました。

4月は何かと気持ちが激しく揺れ動く月ですね。

うちの場合は、その後息子がしたいようにさせていたら、お昼まで寝ていたのがしだいに早く起きるようになって、徐々に元気になっていきました。

子どもを信じるていれば、どうにかなっていくような気がします。


幼くして消えてしまう命を思うと、学校に行く行かないで悩んでいるのは、贅沢かもしれませんね・・・・・・・



2019年04月23日 (火) | 編集 |
先日、支援者の立場にある人がひきこもっている人のことを「張本人」という言葉で表現されました。親の会のような委員会でのことです。

「張本人」なんか随分久しぶりに聞く言葉。発言者は自分が何を言っているのか気づいていない様子。

ひきこもっている人は、何も悪いことをしているわけではありません。不登校の子も。私はそう思います。
だけど、このままでいいとも思っていないだろうなと思います。だから苦しむのでしょう。そして親は、その苦しみから救い出したいと思っているはず。子どもはその思いにこたえられないことで増々辛くなるのかも。

ある少年が『夜中に外に出てみようとしてドアノブをにぎるけど、その手が震えて出られなかった』と言った話を、S先生の講演で聴いたのを思い出しました。
経験のない者には理解できない恐怖があるのだろうと思います。それはその人が臆病だということではなく、そんなふうに怯えてしまうほど辛い経験をしてきたということではないだろうか。

そういう思いを受け止めることが支援の一歩に繋がるのだろうと思います。それができたら「張本人」などという言葉は絶対に使えない。
彼らに罪はない。むしろ心ある人として、身を守る自然な反応をしているだけではないだろうか。
そして「張本人」がいるとすれば、自分の利益やメンツしか考えない人達ではないだろうか。

2019年04月16日 (火) | 編集 |
先日ある会議の前に昼食をと思い、□□□□会館のカフェにいたら、「会いたかったぁ」と美しい女性に声をかけられ、
「あら、私もよ」と、帰るところだった彼女と15分ほど矢継ぎ早に情報交換。なにしろ忙しい人だから。

就職した△△君のことや、ちょっと気がかりな〇〇君のこと。それから家族のこと、福祉施設のことなど。

彼女の話も私の話も、福祉関係の仕事をしている人の中にとんてもなく変な人がいるという点で共通していた。もちろん、ほとんどの方は良心的なのだろうけど。施設を利用する人数に対して補助金が出るようになっているのか、利用をやめないよう囲い込んでしまう人がいるそうです。残念ですけどね。

彼女は正義感が強いので、とても怒っていました。

福祉関連の場所には、困っている人が行くわけですから、自分たちの利益のためではなく、利用者のために働く人にいて欲しいですよね。
彼女も私も、そういう施設を勧めるときは、自分で確認してからにした方がいいという点で意見が一致しました。
そして、プロだからといって仕事ができるとは限らないという点も。

彼女は仕事柄、熊本でどこが要注意か知っているようです。必要な時は聞いてと言ってくれました。