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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2010年12月16日 (木) | 編集 |
 取り立てて特別な話でもないので忘れていましたが、子どもが転んでも、起こしてやる事はしませんでした。安全な場所なら、本人が立ち上がるのを待っていました。そして、なるべく歩かせました。少しきつい位で抱き上げる事はしませんでした。
 それから、子ども同士のけんかは、「広いところでしなさい」と言ってさせていました。まぁ、あまりひどい兄妹喧嘩はありませんでしたけどね。


自分では当たり前と思っていることで、とても特徴的なことがあるかもしれませんが、今思い出せません。まぁこんなところかな・・・・・。


ところで、私の子育て、役に立ちそうですか?

この逆をすれば、
お子さんが不登校にならないのかもしれません。・・         

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テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2010年12月15日 (水) | 編集 |
 私は、必ずしも大人は子どもに勝るとは思っていません。子どもは一人では生きていけませんけど、子どもの方が大人に勝っていることも多いと思っています。特に絵は、子どもの無邪気な心で自由に描いたものにはかないません。だけど、私は「無邪気」に振舞った記憶がありません。だからそうならないよう、子どもの無邪気な芽を摘み取らないように心掛けて子育てをしてきました。なぜ、そんな風に考えるようになったのでしょうか・・・・。


 私の小さい頃、私の周りの大人は、子どもには分からないだろうと、無神経にそこにいない人の悪口を言ったりしていました。よくある光景だと思います。でも、子どもは子どもなりに理解するのです。そして、不愉快でした。私はそういう子どもでした。

 
 まぁ、それはともかくとして、子どもの質問には、その子の年齢にあった答え方があるだろうと思っていましたし、科学的に説明してしまったら、考える余地が減ると思ったのです。例えば幼い子が、「どうしてお風呂の窓は曇っているの?」などと聞いたとき、「水蒸気がガラスに触れて冷やされて・・・」などということはなるべく言わず、「不思議だねぇ」と言い、「こんな時も白くなるね」と同じような場面を思い出させるに留めました。
 それがどんなふうに子どもに影響したかは分かりません。

 
 それにしても、こんなことを心掛けていたことなんて忘れていたのですが、ここに書いているうちに思い出しました。過去を振り返るのも、たまにはいいかも知れませんね。
テーマ:子育て・教育
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2010年12月13日 (月) | 編集 |
 そもそも、物、特に食べ物を粗末にすることは嫌いだったので、粗末にしないように躾けたのですが、「子育ては難しく考えず、一つポリシーがあればいい」みたいなことを耳にして、それをまともに受けとって「食べ物を粗末にしない」ということだけは徹底しようと思ったのでした。まだ未熟な親でしたから・・・。

 そして、食べ物を大事にする子に躾られたと思いますが、少し一生懸命になり過ぎて、このことで一度だけ息子を叩いたことがあります。あの時の、息子の目と、後味の悪さは今でも忘れられません。
テーマ:子育て・教育
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2010年12月11日 (土) | 編集 |
 私は、特に中学生から高校にかけて、朝食をほとんど摂らなくなっていました。最初は、寝坊して食べる時間がなくそうしていたのですが、そのうち、食べないものだと決め付けられて、母も作ってくれなくなったように思います(自分で作ればいいのですが・・)。とにかく、一分でも長く寝ていたかったのです。今考えると、とてもよくない状態だったと思います。

 自分の経験から朝食は大事だなぁと思っていたものですから、朝食は特に気を使っていたと思います。そうしていても、不登校になったのですけどね。

娘はとても早起きで、高校のときは自分で朝食を作り、お弁当も作っていたと記憶しています。中学校の時もだったかな・・・あぁ、娘に甘えてましたね・・・頼りない母でした 

つづく
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2010年12月10日 (金) | 編集 |
 私は、よく「ぐずねぇ。そがんぐずぐずしとったら、火事で焼け死ぬよ」と祖母から言われていたように思います。そんなこともあって、我が子はなるべくせかさないように心掛けていたと思います。辛抱強くなろうと心掛けていたのです。・・・つまり、そう心掛けなければ「早くしなさい」と言ってしまうと思っていたということですかね。


 娘は、かなり小さい頃から文字に興味を持っていました。幼稚園からの帰り道、途中の神社の石の柱に彫ってある人の名前を指差し、「これ何て読むの?」と、一つ一つ聞くのです。私はそのたびに「熊本太郎」、「肥後花子」などと読んできかせたのでした。

 彼女は飽きることなく、毎日毎日同じ事を繰り返しました。その度に私も同じように答えていました。普通に歩けば五分位の道のりを20分位かかっていたでしょうか・・。私はこれを「道草のフルコース」と読んでいたのです。

 

 なるべく「あとで」とか、「さっさとしなさい」とか言わないようにしていたのですが、実際はどうだったのでしょう。子どもに聞いて見ないといけないですかね。・・・

つづく
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2010年12月08日 (水) | 編集 |
 私の実家は、男尊女卑の傾向にありました。食べるものが違っていました。父や兄貴はいつもおかずが皆と違っていました。そして、冷ご飯など食べません。私は母と一緒で、だいたい冷たいご飯でした。そのことが嫌でした。今考えると、兄貴も嫌だったかもしれないとも思います。上の二人の姉がどうだったかは覚えていません。

 だからでしょう、男女平等にこだわりました。そして、男だから青色、女だからピンクとか決め付ける事をしないようにしました。それでも悲しいかな、私の中に染み付いたものはなかなか全部は抜けなかったですね。ついつい家事を娘に頼ってしまったように思います。そして、肝心の「夫と対等に話をすること」ができずにいます。つまり、今の我が家も古い風習がこびりついているということです。夫を立て、三歩下がってつつましく・・・少しうそっぽいですけど・・・。


 「男らしく」とか「女らしく」とかいう言葉は使いませんでした。男と女、同じ人間だからという思いだったのですけど、最近、ちょっと考えが変りました。時々、男女は別の生き物ではないかと思うときがあります。生き物としての尊さは同じだと思うのですが・・・・・。

 夫は、男の子に厳しく、女の子に甘いです。彼は古典的な九州男子です。子育ては、母親一人のものではないので、父親のことも書かなきゃいけないでしょうけど、うーん、書あたことから察してください。これだけは言っておきます。彼も、子どもが小さい頃は、おしめを替えたりしてくれる子煩悩なお父さんでした。

つづく
 
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2010年12月07日 (火) | 編集 |
 私は、五人兄弟の四番目で、やっとできた長男の後で、もう一人男の子が欲しいなぁというところで生まれてきた女の子だったと思います。姉たちは五歳、八歳違いで遊び相手にはならず、私の上と下は男の子でした。


そして、私がまだ物心がついていない頃は、親戚も一緒に住んでいて、家はとても忙しかったみたいです。子どものできない叔父夫婦が私を欲しがっていたので、幼稚園に入るまでは、他の町に住むその叔父のところに、よく行っていました。この話は、とても長くなるので止めておきますが、私は少し寂しい思いをしていたのだと思います。だから、我が子にはそんな思いをさせたくなかった。だから、少なくとも三歳まではしっかり側にいようと思っていました。


 そんなこともあって、幼稚園は2年で充分だと思って息子はそうしたのですが、だけどひょんなことから、娘は二歳半で幼稚園に入り、年少を2年することになったのです。この話もとても長くなるので、やめておきます。

つづく
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