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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2012年07月06日 (金) | 編集 |
嫌な事件が起きました。いいえ、正しくは、嫌な事件が起きて、それが報道されたというべきでしょう。報道されないでうやむうになっている事件も、きっと複数あるはずです。


私は不登校をテーマに、このブログを続けていますけど、不登校から発せられる「声」を「みんなの問題」として捉え、学校を本当の学びの場にしたいのです。

多くの場合、「あぁ、学校へ行けるようになってよかった」とか「この子が不登校になったらどうしよう」という程度でしか考えない。本当は、そんなことでは何も解決しない。


不登校とは、

原因は何であれ、その子が学校社会において、その子の限界を超えてストレスを受け、本能的により安全な場所(家庭)で過剰なストレスを受けた心と体を休めようとしている状態、それが不登校だと思います。

これを解決しようとする時、何が必要かというと、一つには安全な場所、健康状態になるための時間、そして、過剰なストレスを取り除いた学校社会、これらは最低限必要なことだと思います。

本当は、過剰なストレスを取り除くだけではなく、学校が魅力的な場所になる事が理想です。


学校には、まだ限界には達していない子や、とっくに限界を超えているのに、それすら感じとれなくなってしまっている子ども達が通っています。そして、先生方も。そのあたりのケアをしないで策ばかり練っても、何も解決しないと私は考えています。

この辺のことを話しだすと長くなるので、今日は止めておきます。日々、解決への道が遠いと感じる今日この頃です。お天気のせいかな・・・・・・・・・・。誰か私を助けてください。


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テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2011年10月18日 (火) | 編集 |
うちの子が不登校になりかけた20年ほど前は、病気や怪我などはっきりした理由がなく年間50日以上学校を休む子を「登校拒否」と言っていました。

その後、30日以上と改められ、世間では「不登校」と呼ぶようになったと記憶しています。

私などは、息子が初めて休んだ時から「登校拒否になった」と思いましたけど・・・・。

それはともかく、国が50日から30日に枠を厳しくした事は、今考えると、とても勇気ある前進だったと思います。そして「不登校は誰にでも起こりうる」と打ち出したのですから、誰が先頭に立っていらしたのかしりませんが、まともな方が関わっていらしたと思います。

でも、それが末端には届かないのでしょうか?

ある中学校で「今年度から市の方針で、七日連続して休んだら不登校としている」と説明があったのですけど、言い換えれば、週に1回でも学校に来れば、不登校にいれないということでしょうか・・・。

教育センターや保健室や、クラス以外の別室登校も不登校にはカウントされていません。中には校門にタッチしただけで登校とみなすとしている学校もあるようです。それって、登校訓練のつもりなのですかね。

それから、耳を疑いますけど、卒業式や修了式に出席したら、その子は不登校から脱したとみなし、不登校としてカウントしない学校もあるとか!? だからでしょうか「卒業式に出なかったら卒業させない」という学校があるのは・・・・。


こういうことが何故起こるのかと考えると、子どもではなく自分の立場を守ろうとする大人がいるということですかね。しかも、結構権力を持っている人にそういう人が多いということですか?いわゆる「偉い人」も他人の痛みは、なかなか感じとれないものなのですね。
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年09月28日 (水) | 編集 |
「不登校」が警告していることって、私が感じていたものと少し違がってきているかもしれないと、最近思っているのです。

大人がもう少しゆとりを持ち大らかになって、子どもをゆとりを持って見守られるようになれば、子どもたちへのストレスが減り、不登校は減るだろうと思っていますが・・・。

なんかそれだけでは、学校は魅力的で楽しい所には変化しないかもしれないと思うのです。


子ども手当てが支給されて「これで塾にやれる」と言っている親もいますし、「ゆとり教育」は成果が現れるのを待てずに(意味を理解しないまま)終わりましたし、・・・このまま少人数クラスになっても、「子どもを監視しやすくなる」としか思っていない大人も多いような気がして・・・・・。


学校という組織は、学校に来れない子が増え続けることによって、「学校崩壊」の危機を感じ、「学校を守ろう」という意識が強く働き過ぎて、問題の本質というか根本が見えなくなっているのではないですかね。・ ・  ・

このままでは、学校は消滅するかもしれません。そんな気がしてきました。(学校が消滅したとしても、全ての子ども達に学ぶ権利が保証されればいいわけですが)


学校というシステムは、いろいろなしがらみに縛られて、動きがにぶくなっているようです。そのために新鮮な空気が入らず、カビがはえて時代遅れになっているのかもしれません。そんな所から子どもが避難しているとしたら、子どもが元気になっても学校へはなかなか戻って行こうとしないだろうし、学校に失望する子どもたちも増えるのではないかと思うのです。


何ごとも守りに終始したら、廃れていくのです。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2011年05月26日 (木) | 編集 |
この話は親の会などで何度か語っているのですが、ブログには書いていなかったようです。

私が我が子の登校拒否にぶちあたって揺れていた頃、私を救ってくれたのは発達小児科の三池先生(学校過労死の著者)の講演でした。かいつまんで私の心に残ったことばを書きます。

例えば熱されて真っ赤になった鉄板に触ると、熱いので手を引っ込めます。それを何度か経験すると、赤い鉄板を見ただけで、触ろうとはしません。脳が「触るな」と命令を下すからです。それと同じようなことが登校拒否の子どもたちの脳で起こっていると考えられます。つまり、学校で危険な目に合い、それを繰り返すことによって「学校に行くと危ないから学校に行くな」と脳が命令しているのです。だから、学校に行くことができないのです。そんな状態の時は、勉強もできません。無理して勉強させていると、今度は勉強そのものに拒否反応を示すようになります。疲れきった脳には休養が必要です。

というようなことを言われたと記憶しています。私は単純に「そうなんだ」と思いました。そして、「子どもは学校を休んでいるけど休養出来ていない」と気づき、しっかりゆっくり休養させることが大事だと頭が切り替わったのです。それからです、子どもがじわじわ元気になっていったのは。


それまでも、無理をさせてはいけないと思っていたし、学校に無理矢理引っ張って行くようなことはしていませんでした。だけど、心の底で欠席日数を少なくしたいと思い悩んでいたのです。つまり自分の心を封じ込めて、頭で行動していたということでしょうか。子どもには親の本音が分かるようです。

自分に嘘をついて本音を無理矢理押し殺していると、とても苦しいものです。そして、あまりいい子やいい親である必要はないと思いますけど、急には変われません。それでいいんです。それでいいと私は思います。辛いけど揺れていいんです。それが自然な姿ですから。ただ、弱りきっているお子さんに、一方的に本音をぶつけてはいけないので、そんな時は誰か話をちゃんと聴いてくれる人にぶちまけましょう。そして、辛い時は泣いていいんですよ。涙はストレスを体の外に出してくれるそうです。

お子さんが今どういう健康状態なのか、よく観察してください。まずはよくみて分かろうとすることです。

テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年04月18日 (月) | 編集 |
「早く何とかして欲しい」という言葉が、東日本の状況を伝える番組でたくさん聞かれるようになりました。それは一つには、そう発言している人の不安の現われだと思います。・・・確かに私も早く安心したいです。だけど、そう「早く、早く」と思って事にあたっても、なかなかうまくいかないことを、不登校を経験した者は知っています。

避難生活をしている人たちの辛さと、不登校のそれとは、同じではないことは分かっていますが・・・・・。


「多くの不登校の子どもたちは、自分に被害が及ぶ場所、学校という所から、比較的安全な我が家に避難している」そう考えると、彼らは避難生活を長期間に渡って続けている被災者ということになります。彼らだって「早く何とかして欲しい、何とかしたい」と思っているでしょう。しかし、社会全体で救助しよう、支援しようという体制には、なかなかなりません。どうしてでしょうか?

不登校は、巨大地震の時のように、一度に大勢が同じような被害を受けるものではないし、「ここに避難しています!」と大きな声で助けを求めたりはしません。だから認知されにくいのかもしれません。

だけど、状況は意外と深刻だと思います。どういう意味かと言うと、不登校という現象が炙り出している問題は、社会全てに関わる問題だからです。その大事な問題点に気づく人は、未だに少ないと思いますが・・。

例えば、不登校と同じように増えているのが自殺者です。年間、約三万人以上だと聞きます。その数は、今度の被災で亡くなられたり、不明になっていらっしゃる人の数とほぼ同じです。そして、自殺する人は今年だけではありません。近年、毎年同じくらいの人が自ら命を絶っています。・・・・・毎年、あの津波に飲み込まれた人の数以上に亡くなっているということです。

そんなことにならないように避難しているのが、不登校の子どもたちだと考えることもできます。彼らは決して怠けているのではないのです。それは避難所の人たちが怠けていないのと同じだと考えてみてください。

どうにかしたいのは、彼らです。彼らが誰よりも「どうにかしたい」と思い、日々不安でいます。そして、それでも時折笑顔を見せたり、家のことを甲斐甲斐しく手伝ったりしているのです。

無闇に深刻になるのはよくないと思います。でも、忘れないでください、長く避難生活をしている不登校やひきこもりの子どもたちのことを。そしてさらに、避難さえ出来ないでいる子どもたちがいることを!
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年02月21日 (月) | 編集 |
そもそも「不登校」は、日本独特の現象ではないのですね。
あるブログには
「A.M.ジョンソンが1941年に論文にて「学校恐怖症」という言い方をした。・・・省略・・・これらの現象は、日本では当初1950年代から報告され、「学校嫌い」や、1960年代ごろからは「登校拒否」とも呼ばれ、その後、折衷的な語を選択して「不登校」と呼ばれるようになった。・・省略・・」
と書いてありました。・・・外国でもずい分前から存在するんですね。

学校に登校するのが当たり前という前提から、登校できないことがなかなか理解できなかったと思われますけど、この場合単純に考えれば「学校拒否」という言葉の方がしっくりくるんじゃないかな・・・。
学校の前まで行って、校門から一歩も入れない子どもなどは、登校はしているわけですから登校拒否より「学校拒否」です。

それで思いつきました。「学校アレルギー」というのはどうですかね。いや、花粉症のように、原因になるものは以前からあるのに、ある日突然症状が表に出るので、「学校ストレス症」というのはどうでしょう!?
「花粉症」の場合、花粉は全ての人に影響を及ぼし、あるレベル以上に達すると、全ての人が花粉症になる可能性がある。そして、花粉がなければ症状は消える。・・・「花粉」を「学校ストレス」に置き換えてみると意外とあてはまってますよね。そして花粉症になるからといって、弱いとか、意気地なしとか呼ばれない。同情されこそすれ、不良品と呼ばれることもない。・・・いいんじゃないかな「学校ストレス症」

対処方法は原因を断ち切ればいい。学校でのストレスを減らせば、まだ症状の出ていない子のためにもなる。そして登校できなくなっていた子も学校に通うようになれるかもしれない。
(学校でのストレスが何なのか?後日考えてみます)


どう呼ぶかは大したことではないかもしれませんけど、どう解釈しているかが表れてくるし、イメージも変わります。「学校恐怖症」は、学校が恐いという印象が強くなります。「学校拒否」も学校の中に問題があるという意味合いをかもし出しています。「登校拒否」や「不登校」とすれば、子どもの意思や行動に関することだという印象です。だから採用されたのかもしれません。


「不登校」を言葉で説明すると、「学校で何らかの耐え難いことが度重なり、又はとてつもなく大きな衝撃を受け、学校に行こうとするだけで体に何らかの異常が起こり、学校での生活が不可能になった子ども、又はその状態。ごく稀に自ら学校に見切りをつけた子がいる可能性もある」ということだろうと思うのですが、長過ぎますね。・・・・・。




では、登校している子どもたちのことは、どう呼べばいいのでしょう。「登校児」でしょうか?「学校適応」?。それとも「未不登校」?。「不登校予備群」?。




テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年02月08日 (火) | 編集 |
 「不登校対策」とは、そもそもどういう意味なのでしょうか?多分、公の方々が言われる「不登校対策」とは、「不登校の数を減らすこと」ではないかと思います。つまり、「学校へ行けなくなった子をどうにかして学校に通えるようにする」また、「通いだした時にうまく学校に適応できるように、精神面や学習面を補う」等々。不登校になることを〝負〟とし、それを〝正す〟ことを「対策」としていらっしゃるようです。立場上仕方ないことかもしれません。でも、あえて言わせていただくと、そういう対策で終始しているうちは、このことは解決へは向かわないと思います。
 
 不登校になる子どもたちは原因は様々でも、数ヶ月から数年の苦しみの後に不登校状態になっています。もっと言えば「やっと不登校状態になれた子どもたち」です。その子たちの苦しみや、悲しみや、怒りや、痛みを分かろうとする前に、対人関係や勉強の不足を補おうとだけするのは危険ですし、不可能だと思います。

 そんなことを考えると、より心配になるのは無理を重ねて学校に通い続けている子どもたちです。彼らは、不登校になった子どもたちと同じ教育環境の中で過ごし続けています。変わらない同じ空気を吸い続けています。はたして彼らの「教育保障」は充分なのでしょうか?
 耐え忍んだ期間が長ければ長いほど、傷は深く、回復にも時間がかかります。進学したり、就職したりした直後にひきこもったり、最悪死を選んだりする子が多いように思うのですが、その子たちの数は不登校の数字には全く反映されません。表に出てこないまま、教育現場の闇を背負って苦しむのです。こういう子どもたちは、私が知る限り本人も親もとても真面目です。残念でなりません。

 そして、真面目な先生ほど忙しく、疲れきっていらっしゃいます。そんな先生方のためにも、「不登校対策」としても、子どもたちの声に真摯に耳を傾け、もう少し和やかな学校になるよう舵を切り直してみてはどうかなと思うのですが・・・・・
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育