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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2009年06月29日 (月) | 編集 |
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2009年06月27日 (土) | 編集 |
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

私は一番の歌詞以外はほとんど記憶になかったのですが、二番三番と歌っていたらゆったりとした時の流れやあたたかさを感じジーンと目から雨が降ってきました。 違う見方もあるでしょうね・・・   かずえ
2009年06月25日 (木) | 編集 |
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


憲法をもっと活用しないといけないと思い、ここに貼り付けてみました。いろいろなことを考えさせられます。

せめて義務教育の期間は、学校に行けない子どもに対しても教育を無償で受けられるようにして欲しいです。
義務教育を受けさせる義務は保護者にあると思うけど、それは「学校に無理やり通わせる義務」を負っているわけではなく、「教育を受けさせる義務」を負っているのですよね。
2009年06月22日 (月) | 編集 |
 昨日、コーラスの練習中ピアノ伴奏の先生が「前奏を弾いていて皆さんが本当に歌い出すのか不安になるんです。全員が息を吸って準備をしている気がしなくて伴奏していて恐い」とおっしゃるのです。僅か三秒ほどの前奏で歌い始める曲なので、歌が始まる一拍前に息を吸って歌い出す準備をするのですが、確かに歌っているほうも何となく不安を感じて歌っていました。それで、指揮の先生が「伴奏者への合図と共にみんな息を吸ってみましょう」と試されたら、伴奏がうまく入れたとおっしゃるのです。それまでは、ほんの僅かですが歌を待って伴奏していたそうです。
 「すごい!」と思いました。伴奏者は指揮者しか見ていません。歌っている人の様子を見ることなどないのですが、気をハダで感じられるのでしょうね。
 
  子どもとか、感性の鋭い人とか弱っている人は特に、この「気を感じる力」が強いと思います。ある不登校の子が「なんとんく嫌だった、行きたくなかった」と言う時の〝なんとなく〟がそれだと思います。まわりの大人にしてみれば「『なんとなく』じゃ分からん!」と言いたくなるところかもしれませんが、その子にとってみれば〝しっかりとした理由〟なのではないでしょうか。
 先日のシンポジウムでも15才の不登校経験者が「なんとなく」という言葉を何度も使いました。まだしっかりと説明できる言葉を獲得していないこともあると思いますが、説明しにくい感覚なのでしょう。「なんとなく、学校へ行こうと思わなかった」とか、また、自分達でフリースペースをつくった時、「なんとなく、うまくいった」などというふうに。
 目に見えない、言葉に置き換えにくいものを感じて「なんとなく」と子どもが表現したとき、それをしっかり受け取れないのは、大人になっていない子どもの能力不足ではなく、かつて子どもであった大人側の能力の衰えなのかもしれませんね。            かずえ
テーマ:子供の教育
ジャンル:学校・教育
2009年06月20日 (土) | 編集 |
時々恐くなります。
素敵な人たち、素敵な子どもたちに出会うと、とても幸せな気分になるのに、
いつか会えなくなる時が来るのかと思うと、恐くなります。
人はみな幸せになりたいと思っているのだろうけど、
幸せな時を持てば持つほど、それを失った時のことを想像して恐くなるのです。
満たされない時には、満たされたいと願い、満たされると、失いたくないと願い。
人間はほとほと厄介な生き物です。
                    ・・・・人間というより、わたしだけですかね・・・・かずえ
2009年06月18日 (木) | 編集 |
「届け!!文科省まで」を編集していたころは、たくさんの人に読んでもらえる本にしたいと一所懸命でした。この本を通じて誰かと繋がることなど想像もしませんでした。なのに出版して半年しか経っていませんが、全く知らなかった方々と出会い、お話をしたり、メールを交換したりしています。
 先日行われたフレンズネットワーク主催のシンポジウムへも、本を通して繋がった方が6,7名来て下さいました。県外から来てくださった方もいます。びっくりです。福岡から50冊買ってくださった某私立高校の校長先生が、多忙の中わざわざ来てくださいました。しかもその学校の先生方が三人も同伴されました。私が「せっかくの休みに・・・すみません」と同伴の先生にごあいさつすると、「自分が参加したかったから」とおっしゃってくださいました。
 この私立高校は、在校生の8割が不登校経験者だそうです。これまたびっくりです。500人近くのうちの8割ですよ。校長も「うちのような学校が必要とされることがおかしい」というようなお話をされました。会終了後、校長を交えて6人で喫茶店で懇談ししたのですけど、いろいろ興味深いお話ばかりでした。私が一番心に残った言葉は「うちはもはや学校ではない」という言葉です。学校の枠から飛び出しているという意味だろうと思います。近いうちにそのことをこの目で確かめに行こうと思っています。同席していた他の方々も、一緒に行こうと言ってくださいました。
 とにかく、「届け!!文科省まで」に載っている"声"のパワーはすごいです。本当にいろいろなところに届いていくと思います。皆さんも口コミで広げてくださいお願いします。
2009年06月17日 (水) | 編集 |
2009年06月15日 (月) | 編集 |
 昨日のフレンズネットワーク主催の「不登校経験者と親」のシンポジウムには、フリースペースの子どもたちが4人も参加してくれました。普段、面倒なことはしたがらないのに、一人の子がパネリストで発言することになったので、暑い中それぞれに、仲間のために駆けつけてくれたのだと思います。
 そして最後に、自分達のフリースペースのアピールのために全員前に出てきてくれました。ちょっと照れて私に目で助けを求めるので、つい私もでしゃばってしまいましたが。
 会終了後の後片付けも手伝ってくれたので、本当に助かりました。あの子たちは素敵な仲間を持てているんだなと思います。学校での経験はとても少ないけど、学校以外で貴重な経験をしているのだなぁと想像します。小さい頃片隅で膝をかかえていた子が、大勢の前でマイクを持って、どうどうと自分の考えを述べるまでに成長したのを見て、この10年間の重みを感じずにはいられません。

 既成の学校では、一秒も無駄にしてはいけないような空気の中で子どもたちや先生があくせくしているのに、フリースペースでは時の流れの速さが違うかのようです。その中で成長してきた子どもたち、良くも悪くもそういう子どもたちが存在するのです。そして、この子たちの感性が十年後、二十年後に大きな花を咲かせるような気がしています。この子たちのこれからが、また楽しみです。
2009年06月13日 (土) | 編集 |
 先日、このブログを読んでくださった28歳女性から「不登校体験を何かの役に立てたい」とメールがありました。とても嬉しかったです。
 いろいろまだ解消しきれていないしこりのようなものもあるのだろうし、彼女にしか分からない思いがあるように感じました。親の会とかで語られるだけでも、その経験は充分役立てられると思いますし、彼女のためにもなると思います。近くに住んでいらっしゃるのなら、明日フレンズネットワーク主催のシンポジュウムに参加してくださるといいのにとも思いました。
2009年06月11日 (木) | 編集 |
 不登校と一口に言っても、その学校へ行けない、行かない期間だけ考えても様々です。私の知っている子を例にとっても、3ヶ月、1年、4年、6年、9年といろいろです。
 親の対応を見ても、休む前から「休んだほうがいい」と言う人もいれば、なかなか「休んでもいい」とは言えない人もいます。(どちらかが正しいという訳ではないです)
 先生方の対応もいろいろだと思います。どうしてだろうと強く悩む人もいるだろうし、厄介なことになったと思う人もいれば、教室で騒ぐ子よりましだと思う人もいると思います。
 ただ、学校へ行かない理由はなんであれ、子どもが傷ついているのは確かです。本人の気持ちは本人でなければよく分からない、いや本人もよく分からないかもしれませんが・・。鬱々とした感覚や、悶々とした気分は周りの人間は想像するしかありません。
 本当なら学校で楽しく過ごしているべき子どもたちが、家で悶々としている姿を見るのは耐え難い。だけど忙し過ぎる大人たちは、子どもの苦しみに腰を据えて向かい合う余裕がない。「忙しい、忙しい」を連発するだけだ。忙しさを解消する工夫はできないのでしょうか。一日に15分でもいいから、他のことは忘れて子どもと向き合って欲しい。仕事片手に生返事するのでは、一時間子どもの側にいてもあまり意味はないと思います。
 
 子どもは日々成長しています。そしてどの子にも学ぶ権利があるはずです。知らなかったことを知り、出来なかったことが出来るようになり、やりたいこと、面白いことに出会って考えたり、発見したり、様々な経験を積む権利があるはずです。家族以外の人と出会い、その中で成長していく、その権利を奪ってしまって補ってやろうと努めないのなら、それは私たち大人の大きな怠慢です。
 不登校の子どもたちはもう何十年も前から警鐘を鳴らし続けています。そして、今ではドラマにまで登場する身近な存在になってきました。当たり前のことのように語られるようになってきました。私はこのこともとても心配しています。子どもが学校へ行こうとしてもいけないということを当たり前のこと、よくあることとして片付けられてはたまりません。

 昨日までどの子も出来ていたことが出来なくなるということを見て、「そんな簡単なことが出来なくなるのは、なんと情けない子だ。親はどう育ててきたのか」と思われる方もいらっしゃいます。だけど、見る角度を変えてみてみると「簡単にできるはずのことが出来なくなったということは、この子にとてつもなく大きなストレスが圧し掛かったのだろう」と思えてくるのではないでしょうか。
 不登校について考える時、私たち大人がそれぞれに担うべき責任があると思います。自分に出来ることを少しでもいいからやっていきたいと思います。
 
 皆さんはどう思われますか。                    かずえ
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2009年06月09日 (火) | 編集 |
あの子はときどき 学校休めていいな  ♪♪
だけど 私にそんな無茶はできない

一日休めば 成績みんなに抜かれる
だから 私は絶対 這っても行きます

Hm・・・ Hm ・・・

私もほんとは たまに休んでみたいよ
そして ぐっすり眠って 疲れを取りたい

親には絶対 心配かけたくないし
だけど そろそろ限界 学校で居眠り 
   かずえ

(6月3日の不登校ブギと対になっています)

2009年06月08日 (月) | 編集 |
 今日秋葉原の無差別殺人事件から1年経って、朝のワイドショー番組に事件のことが取り上げられていた。コメンテーターの人が「思いやりのある世の中を時間をかけてもつくっていかなきゃいけない」というようなことを言われた直後に、司会者が「歩行者天国に絶対車が入らないようにしなきゃ・・。ナイフなんかも持ち込まないように取締りを厳しくしなきゃだめだよ」と結んでいたが、この司会者は人の話を聴いていないのか・・。世の中に大きな影響力を持つ立場にいる人が、そんなことを軽々しく言って欲しくない。
 
 学校でも何かことが起こると、持ち物検査だとか、取締りの強化だとかがすぐに叫ばれる。だけどそんなことでは根本的な解決はできないと私は思う。かえって逆効果じゃないかとさえ思う。
 人の心がすさんでいる時に、疑いの目でみられて心が穏やかになるのだろうか。そんなはずはない。そもそも取り締まったからといって苛立ちや孤独感を解消できるはずはないから、別の場所で、別の形で事件が起きるに違いない。
 「心が荒んでいる人を遠のけること」よりも「人のこころが荒まない世の中を創ること」を重視するべきだと思う。だから学校で徹底すべきは監視の目ではなく、見守る姿勢だと思う。監視の目に強いストレスを感じている子はとても多い。それが不登校の原因にもなったりする。あいさつ運動も監視するためにやっているのなら止めたほうがいいと思う。
 
 佐世保の小学校で女の子が同級生を殺害した事件の後、学校が閉鎖的になるかと心配したが、逆に地域との交流を増やし、自由に参観できるようになったと聞いている。被害者のお父さんの深い理解や地域の人の温かい協力があったからできたことだと聞いている。そういうことをもっと報道して欲しい。   かずえ

 
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2009年06月06日 (土) | 編集 |
どの子にも 起こりうるのが 不登校
学校に 行ってる子らも 心配よ
2009年06月05日 (金) | 編集 |
2009年06月03日 (水) | 編集 |
学校へ行かずに 今日も一日ゴロゴロ    ♪♪ 
だけど 休んでいても なぜか疲れは取れない

明日は行こうと 目覚まし三つかけてる
だけど 朝になると なぜか体が固まる

Hm・・・ Hm ・・・

ぼくだってほんとは いつも学校へ行きたい
そして できれば楽しく 授業を受けたい

どうにかしたいさ だからこんなに苦しい
だけど 周りのだぁれも けして分かってくれない 
                                   かずえ


2009年06月01日 (月) | 編集 |
 先日、私が遊びに行っているフリースペースのミーティングで、6月何をしようかと話し合っているなかで、子どもたちから「いつかのような不登校のシンポジウムみたいなものないとね」と質問が出たのです。去年、子どもの一人がパネリストとして(別の団体の企画に)参加した経験はあったのですが、私はちょっとびっくりしました。
 そこで、フレンズネットワーク主催の「不登校からの希望の光」のチラシを差し出して、「部屋にも貼ってるけど、こういうのがあるよ。参加する?」と尋ねたら、「ふーん、行っていいの」というのです。そして、行ける子は参加することになりました。
 そのことが決まると、ちょっとひきこもりぎみのメンバーの一人に、さっそくメールで知らせていました。そしたら、その直後にメールが返ってきて、子どもたちは「来たー!」と歓喜の声をあげました。返事は「めんどくさいから、任せる」というような内容だったのですが、ここ数ヶ月メールを送っても返事もなかったらしく、子どもたちはその後もその子と何度かメールをやりとりして誘っていました。
 その日私は「この子どもたちはシンポジウムのようなものに興味を示すこともあるんだ」と思っただけでしたが、今は本当は友人を引っ張りだす口実を探していただけなのかもしれないと感じています。本当にさりげなく友人を気遣う、優しい子どもたちです。
 
 まぁそんなわけで、6月14日(日) の不登校からの希望の光 「不登校経験者と親たち」のシンポジウムにはフリースペースの子どもたちも参加してくれるかもしれません。