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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2009年09月30日 (水) | 編集 |
 十日前(9/21)に書いた通り、子どもたちの距離は確実に縮まっていました。背中合わせでゲームをしていた二人が、いつのまにか同じ画面でゲームをしています。そしてゲームで勝敗が決まったら、またそれぞれ別のゲームをはじめました。そこへもう一人やってきて、何気なくそれぞれに話しかけます。そして片方といっしょにゲームを始めました。とても自然な感じです。だれも無理をしていません。一人でゲームをしている子も、音を消して仲間に気を使います。

 この子は部屋に私と二人だった時は、一人で大きな歓声をあげながらゲームをしていたんですよ。それは私に何かしら発信していたのだと思います。だから私も、その声に反応を返していました。・・・この子たちは実に面白いです・・・・

 

 
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テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2009年09月29日 (火) | 編集 |
「届け!!文科省まで」を読んでみて、自分の子育てのあり方など考えさせられることばかりでした。子どもに対して、どう接したらいいか日々悩むことばかりです。

スクールソーシャルワーカーやスクールカウンセラーの方々の集まりで配ったチラシを見て電話で本を購入してくださった方からのメッセージです。子育てに一所懸命なのだと思いました。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2009年09月28日 (月) | 編集 |
 フリースペースの子どもたちが、長いこと更新していなかったホームページを、最近また更新し始めました。七ヶ月ぶりです。長く更新しなかったのは、ひとつにはソフトのこととかで出来ない状態にあったらしいのですが・・・・。更新を再開したら、今までの穴を埋めるように集中していっきに書き込んでいます。・・・何があったのでしょうか・・・やっぱり仲間を増やしたいのかな。

 中年の私にとってホームページを作ることはとても難しそうで、まだチャレンジもしていないのに、かれらは、小、中学生の時に作っているんですよすごいなぁ。パソコンのことは彼らに聞けばはやいのかもしれないけど、あまりにもレベルの差があって、通訳が要ります。

とにかく、ホームページを覗いてみてください。「フリースペース黒猫」で検索してください。
2009年09月26日 (土) | 編集 |
たましいを 
解き放たれし 
身になれば
どこにいようと 
きみを見守る

されどまだ
生身にやどる
定めにて
遠き空より
きみを案ずる
2009年09月25日 (金) | 編集 |
snap_todokekoe_20099421467.jpg
2009年09月24日 (木) | 編集 |
 暑さ寒さも彼岸までというのはウソですね。今日の熊本市は真夏を思わせる暑さです。25年前熊本に越してきた時は、確かに彼岸を過ぎると涼しくなると感じたものですが、特にここ10年余り彼岸を過ぎても真夏を感じるような日が多くなっていると思います。こういったいわゆる温暖化と言われている気象の異常も、子どもたちを不安にさせている要因の一つだと思います。

 こんな地球にした原因が人間にあるのなら、人は変わってしまった地球に適応して生きていこうとするより、元の地球にもどす努力をしなければいけないと思います。私にとっても耳の痛い話です。でも、大人が難問に立ち向かっていく姿を見せることでしか、子どもの不安は取り除けないのではないでしょうか、ね。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2009年09月23日 (水) | 編集 |
 りんご狩りに行った時、栗がたくさん落ちていたのでイガを足で割ってみました。そしたらきれいな大きい栗が出てきたので、拾って持ち帰りました。8個です。どうしようかと思いましたが、ちょうど家に小豆が一握り残っていたので、もち米を買ってきて栗入りのお赤飯にしました。なかなかいい出来です。栗も甘くて美味しい。主婦としては嬉しい拾い物でした。

 子どもが小さい時は、毎年この時期には栗を買って甘く煮たり、栗おこわにしたりしていましたが、栗の皮をむくのに時間が掛かり、そのわりには食べてしまうのはあっという間です。ちょっと苦労が報われない感じで、ここ数年栗を料理する気になりませんでした。
 でも8個の栗は、ずぼらな私を奮い立たせてくれました。これくらいの数がちょうどいいですね。そして今日は秋分の日です。庭には今年も真っ赤な彼岸花が咲いて、鈴虫が鳴いています。ちょっといい感じでしょ。・・・いいことがあるかもしれません。
 この栗おこわ、明日フリースペースに少し持っていこうと思います。
2009年09月21日 (月) | 編集 |
 今日はフリースペースの男の子たち三人(16~18才)と、りんご狩りをました。私自身りんごが木になっている姿を見るのは初めてです。取り入れやすいように低く育ててあるので、自然の姿ではないのでしょうが・・・。

 子どもたちは慎重に美味しそうなりんごを探し回っていました。そんなにそのりんご園は広くはなかったので、一通り見て回って、これというのをあれこれ言い合いながらもぎ取っていました。
 その後、少し移動してバーべキュウをしました。墨を使ったのですが、子どもたちがそれぞれの得意分野で自然と分担しあって、墨に火をつけたり、肉をやいたり、写真を撮ったりしていました。大人も三人参加したのですが、同じように得意分野で味付けしたり、おしゃべりしたり、食べたりと、ちょっと暑かったけど楽しいひと時でした。

 終わる頃には、子どもたち三人で遊んでいました。ゲームではありませんよ。その辺にころがっているもので、自然と遊びをみつけて遊んでいました。三人とも無茶はしないのです。慎重だなとも思えるし、やっぱり子どもだなとも思えます。三人のうちの一人はまだ完全には打ち解けていないのですが、今日その距離は確実に縮まったと思います。
2009年09月20日 (日) | 編集 |
 今日電話で本の注文がありました。3週間前に配った「届け!!文科省まで」のチラシを今日見て、「読んでみたい」と思われたそうです。「あのチラシ役に立ったんだ」と思うと同時に、「3週間眠っていたんだ」とも思いました。ということはまだどこかで眠っているチラシがあるかもしれないということです。もしそうなら、早く目覚めさせてくださ-い。
2009年09月19日 (土) | 編集 |
 昨夜、ある九条の会で、「貧困と教育-教育格差は日本をダメにする-」というお話がありました。その時のことです。

 参加者は40名ぐらいだったと思います。そのうちの半数以上は戦争経験者で、四分の一足らずは戦争を経験していない大人で、残りは現役の高校生でした。
 この高校生達は、募金活動のために参加した、あるいはさせられた子どもたちでした。みんな素直そうで可愛い子どもたちです。最後に司会者が彼らに発言を投げかけたのですが、ある男の子が「昔の話はよく分からなかった」と答えました。それは、その日の講話に対して、「戦時中に青春の時期を過ごされた男性の熱い話」に対する感想だったと思います。その方は「ニートになりたいという若者がいること」に驚き、ご自分の苦労話を語られたのです。高校生はその話をハダで感じることができなかったのでしょう。戦争経験者が、今の若者の苦しみをハダで感じることが出来ないのと同じかもしれません。

 今の若者には、戦時中のような生死に直結した危機感のようなものはないと思います。なんとんく生存していける時代の中にいるのかもしれません。でも、不安感は今の子どももとても大きいのです。「得体の知れない不安」のなかにあって、時の流れに流されているような感じがします。
 不登校経験者は、この「得体の知れない不安」を感じ取って、流からはずれているのかもしれません。生存そのものが脅かされ、日々生き残ったことを実感し、歯をくいしばって生活してきた時代とはまるで違うように見える現代に、子どもたちの中には死ぬほど辛い思いを抱えてさまよっている子どもがいるのです。それを人は「甘え」と呼ぶのかもしれません。

 学校に通っている子、通えなくなった子、彼らは五十年後に何を語るのでしょう。
2009年09月17日 (木) | 編集 |
おまえの中で くすぶるものよ
何をためらっているのか 
何に脅えているのか

おまえの中で くすぶるものよ
笑われることを恐れるな
気付かれないことに脅えるな

おまえの中で くすぶるものよ
このままでは息が詰る
おまえの中で くすぶるものよ
窓を開け放て

怒りよ 悲しみよ 荒れ狂う時が来た
喜びよ 感動よ 裸で飛び回るがいい

おまえの中で くすぶるものよ
今必要なものは 風か 光か 
それとも 涙か
2009年09月16日 (水) | 編集 |
2009年09月15日 (火) | 編集 |
 先日明橋大二医師の講演の後「本音でしゃべろう」という会に参加しました。その会でたまたま同じグループになった3人の方がとても素敵な方々でした。大家族で主婦業を頑張っている方や、ご主人の分まで毎日お弁当を作ってしかも積極的なお母さん。そしてもう一人素敵なお父さん。詳しく書くと特定されそうでご迷惑かもしれないのでぼんやり書きます。

 その中のお一人と30分ほど話をする時間があったのです。県や市の教育行政に詳しい方で、お話をするうちに分かったのですが、不登校や学校教育に関してほぼ私たちと同じ意見なのです。こんな方が行政の中にもいらっしゃるのだなぁと心強く思いました。それでも、現状を変えるのは簡単なことではないのでしょうが・・・。

 
2009年09月14日 (月) | 編集 |
お話の中で印象的だったことをメモしました

・今の子どもをめぐる問題の根っこは、「自己評価の極端な低さ」
子どもを育てる上で土台となるのは、「自己肯定感」。それが育ってしつけが出来る、しつけが出来て教育ができる。
今の日本は米国や中国に比べて自己評価が極めて低い。自分に自信が持てない子が増えている。

・自分はダメな人間だと思うと答えた割合
 中学生 日本56.0% 米国14.2% 中国11.1%
 高校生 日本65.8% 米国21.6% 中国12.7%
(平成20年「中学生・高校生の生活と意識に関する調査」日本青少年研究所)

・子どもは依存と自立の繰り返し。言い換えれば甘えと反抗の繰り返しで成長していく。甘えて依存していれば安心だけど、不自由でもある。だから反抗して自立しようとする。自立すれば自由だけど、不安になる。そしてまた甘える。子どもは甘えと反抗を行ったりきたりするが、子どものペースでするのが大事。
充分依存して安心すると意欲が生まれ自立へ向かう。甘えを受け止めてもらった時に安心感をもらえる。

・放任、無関心は禁物。ほったらかしとかまい過ぎにきをつけましょう。

・抱き癖がつくというのは間違い。

・ちゃんと育ててきたから反抗するのです。
子どもは自分の気持ちを表現するのが下手なので、むかつくとかくそばばあと言ったりする。

・しっかり話を聴いてやる。相手の言葉を繰り返す。自分が言った言葉と同じ言葉が返ってくると分かってもらえたと感じる。

・子どもの頑張りを認めて、ねぎらうことが大事。



          
2009年09月13日 (日) | 編集 |
 私には、素敵な人と出会う能力がありそうです。今日も予期せぬところで、とても素敵な方々と出会い、とても楽しいおしゃべりができました。今度自分のいいところを発表する場があったら、「素敵な人と出会う」と書きたいと思います。
 
 どんな素敵な人かは、後日ゆっくり書きますね。
2009年09月12日 (土) | 編集 |
1 あした浜辺をさまよえば
  昔のことぞ しのばるる
  風の音よ 雲のさまよ
  寄する波も 貝の色も

2 ゆうべ浜辺をもとおれば
  昔の人ぞ しのばるる
  寄する波よ 返す波よ
  月の色も 星のかげも

3 疾風(はやち)たちまち波を吹き
  赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひじし
  病みし我はすでにいえて
  浜辺の真砂(まさご) まなごいまは

この歌大好きです。3番は知りませんでしたけど。
2009年09月11日 (金) | 編集 |
 小学校に入学して一ヵ月半行っただけで不登校になり、9年ぶりに学校に通っている子がいます。彼は高校に入って初めて夏休みというものを体験しました。長い休み彼はどう過ごしたのでしょう。「不登校だったのだからずっと休みだったのと同じゃないの」と思われるかもしれませんが、どうも違っていたようです。

 母親の話では、夏休み後半から彼は突然勉強をし始めたのです。自分でスケジュールを決めて、決めた通りに毎日六時間きっちり勉強していたそうです。教科書、ノート、鉛筆を使って猛勉強です。今までそんなことしたことなかったから、筆圧も弱いし、漢字も書けないし、とても大変だったそうです。どの教科も漢字を覚えることも並行してやらなければいけません。そして彼は生真面目なのでしょう、最初に決めたとおりの方法で手を抜くことなく勉強を続けていました。夏休み明けにすぐにテストがあるからです。だけど、彼のやり方では時間が掛かり過ぎて「間に合わない」と、とても落ち込んでいたそうです。

 「もう、適当にすればいいと思うんだけど、可愛そうなくらい落ち込んでいるのよ。何しろはじめての経験だからゆうずうがきかないのよね」とお母さんも心配そうでした。「適当」の目安が、経験がないと分からないのですね。だからちょっとしたした失敗で全てダメだと感じてしまう。そういう経験は私にもあります。(例えば行く日を一度間違えただけで、音楽教室をやめたとか、私もそういう真面目な子だったのです・・??)

 それにしても学校へ行っていなかった影響はいろいろあるようです。なにもマイナス面ばかりではないと思うのですが、不登校の経験がない周りの大人はその事になかなか気づけません。彼の場合、体や思考力は高校生でも、学校での経験の数は小学一年生だと思ってしばらく見守って行かなくてはいけないのだと感じました。彼はその後どうしたのでしょう・・・・気になりますね。
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2009年09月10日 (木) | 編集 |
 ある親の会に、長い期間体験を話しに来られる方がいらっしゃいます。連続してこられる訳ではないのですが、誰かの役に立てばという思いで話していかれます。その方の話を注意深く聴いていると「あっそうだったのか」と毎回発見があるのです。例えば「お父さんはとても無理解な方だ」と思っていたら、本当は「表現は下手だけど、子どもを愛している方だ」と気づいたり、「そこまで危ない状況だったのか」と驚かされたりします。
 そんなことが重なって、私は親の会の難しさを感じました。親の会で話されることは、その方が得ている「不登校になった子どもを取り巻く情報」のほんの一部です。そしてその方が持っている「子どもやその子を取り巻く情報」はその全てではなく、その方を通してみた情報でしかないのです。ですから、一度の親の会で話される事柄はその子どもの事情を全て語っているわけではなく、ごくごく一部分なのです。その僅かな情報だけでアドバイスをするというのは危険なことかもしれないと思いました。

 でも、話される方の気持ちは、よく聴いていれば、話される様子などからその方の気持ちをかなり多く受け取ることが可能だと思います。どのくらい悲しいのか、苦しいのか、怒っているのか、混乱しているのか等々。ですから話のあらすじより、〝心の動きや感情を受け取るような気持ち〟で聴き取るように心がけたほうがいいのではないかと、改めて思いました。それはかなり難しいことなのかもしれません。あらすじはどうでもいいという訳ではないのですが、話し手は「不安な気持ちを分かって欲しい」という思いがいっぱいだと思います。その不安を和らげるには「こんなに不安なのだ」ということを誰かに理会してもらう必要があります。それができれば、話し手は自分の力で解決策を見い出せます。それをせずに、つまり理会する努力をせずに策だけ与えようとすれば「よけいなおせっかい」ということになるのだろうと思います。

 理屈はどうであれ、親の会に行って「少し楽になった」と感じてもらえず、「かえって辛くなった」と言わせてしまった場合は、聞き手(主催者)は反省しなければいけないと思います。


2009年09月08日 (火) | 編集 |
 「一年後生きているかどうか分からない。明日死ぬかもしれない。人はいつ死ぬか分からないから、一日一日大切に、いつも真剣に生きなければならないのだ」と、少年が文章を棒読みするように口にした。フリースペースの子どもたちと雑談中、誰に向かってという訳でもなく、少年はそう言ったのだ。それを耳にした私は「そうだね」と返した。

 この子は誰にそのことを言いたかったのだろうか。自分自身にか、それとも昼夜逆転している友人にか・・。そもそもこの言葉は彼の言葉なのか・・・。

 人はいつ死ぬか分からないが、誰もが必ず死ぬ(今のところは)。それは分かりきったことのようで、ほとんどの人はそのことを忘れて生活している。多分忘れていないと辛過ぎるからじゃないだろうか。やらなければいけないことが与えられると、当面人はそれをやりこなすことに熱中し、生きる苦しさ、死への恐怖を忘れることができる。そういう意味では、試練は人にとって救いでもある。生きるためにそのことに熱心に立ち向かわざるを得ないから、その間人は死への恐怖から離れられる。

 死は恐怖なのに自ら死のうとする人もいる。なぜだろう。もしかしたら「生きることは死ぬことよりも辛い」と感じるから「早く楽になりたい」と思って死のうとするのではないだろうか。
 よく世間で「死ぬ気になればどんな苦しい事も我慢できるはずだ」と言うが、本当は「生きる気になったら、いつでも死ねるはずだ」というのが正しいのではないだろうか。それくらい生きることは難しい。だから単純な私などは「生まれてきて、この世に存在しているだけでも凄いことだ」と思う。

 死んでしまうのも一つの選択肢なのかもしれないが、死んだ後本当に楽になれるのか何の保証もないし、やり直しもきかない。だったら生きて何度もやり直す方がましではないだろうか。自ら死のうとしなくてもいずれ必ず死ねるのだから・・・。そ、れ、に、とてつもなく楽しいことに出くわさないとも限らないのだから・・・。

テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2009年09月07日 (月) | 編集 |
2009年09月05日 (土) | 編集 |
 母に「写真着いた?」と電話をした時のことです。「さぁ知らんね。きとらんよ」と母。もう二、三日経っていたので忘れてしまったんだなぁと思い、適当に世間話をして「じゃぁまたね」と電話を切ろうとしたら、母が唐突にこう言うのです「あんた大丈夫ね。一人で悩んだりしないで、困ったことがあったら話しなさいね」と。唐突でしたけど、とても自然な口調でした。私は「うん大丈夫、ありがとう」と電話を切りました。そして電話を切ってから考えました。母はこのタイミングでどうしてこんなことを言うのだろう。
 「一人で悩んだりしないで、困ったことがあったら話しなさいね」私は母からこんな言葉を掛けられたのは初めてです。静かな驚きがありました。
 「一人で悩んだりしないで、困ったことがあったら話しなさいね」この言葉をとても必要とした時が、今までに何度かあります。その時々のことが思い出されました。なぜ今なのでしょう。どうせならこの言葉を必要としている時に言って欲しかった。
 「一人で悩んだりしないで、困ったことがあったら話しなさいね」必要としていなくても言われて悪い気はしません。そして言えそうでなかなか言えない言葉です。特に我が子には・・・。
 「一人で悩んだりしないで、困ったことがあったら話しなさいね」不登校の子どもはもちろんですが、どの子も誰かにこう言って欲しい時がきっとあると思います。
 
 認知症になると心が無垢になるのでしょうか。不思議です。何か気に掛かっていることが母の方にあるのかもしれません。
 
2009年09月04日 (金) | 編集 |
  母を看ていて思いました。介護が嫌なこと、厄介なことだと思っているから、「誰が面倒を看るのか」ともめるのです。私自身そう思っていたのです。もし「楽しいこと、得なこと」だと思っていれば「私に看させて」と奪い合いになるのではないでしょうか。確かに介護には体力もいるし、お金も掛かるけど、「母との時間を楽しめる」と思えばちょっと得した気分にもなれるかもしれません。発想を変えてみるだけでも気分は変わります。(独り占めはよくないですけど)

 不登校の子との関わりも、「子どもと向き合う時間がたくさん持てて良かった」と思えば、少しは気が楽になるかもしれません。表面上何もなければ、日々の生活に流されてしまいますものね。
 でも今真っ暗闇の中にいるように感じている方は、「いやいやそんな『子どもと向き合う時間がたくさん持てて良かった』なんてウソだ」と思われるでしょう。だけど、トンネルを抜け出した殆どの方が「子どもとしっかり向き合えて良かった」とおっしゃっています。これは負け惜しみでも、ウソでもないのです。本心なのです。真剣に子どもと向き合って、また自分と向き合って、葛藤があって、それを乗り越え多くの学びを獲得したからこそ出る言葉です。

2009年09月03日 (木) | 編集 |
 この夏、認知症で忘れっぽく、記憶の糸がもつれてしまった母と4日間一緒に過ごしました。母は「熊本はどがんね、住みやすかね。物価は高かね」と私に聞いて、私が「夏は暑くて、冬は寒かよ」と答えると「そうね」とうなづき、お茶を飲んで洗濯物をたたみながら、また私に質問します「熊本はどがんね、こっちと比べて住みやすかね」と。こんなことを数回繰り返します。そして自分の妹と一昨年亡くなった自分の娘(私の姉)を混同したり、戦時中の記憶もこの頃曖昧になっていました。
 私は今年に入って数ヶ月に一度里帰りをして母の話し相手になるようにしていますが、いつもはデイケアに通っているので、せいぜい数時間いっしょにいるだけです。それがこのお盆はデイケアも休みなので4日間一緒にいました。じっくり母の話を聴いていたら、4日目には脳の回線が繋がったらしく、まともな話をするのです。そして詳しく昔の思い出を語りました。
 その上に、元気だった頃の、"自分の考えを押し付ける母"に戻ったようでした。気付けば、そんな母のくどい話しぶりに、つい語気を強めて答えてしまう私がいました。それだけ母が"普通"になっていたのです。そして身の回りの事も自分からしだして、久方ぶりに二人でショッピングに出かけたりもしました。
 
 半年前の冬は、ほとんど寝て過ごしていたのに、元気になると自然と動き回るものだなぁとつくづく思いました。そして「もうなごう生きとるごとなか」という言葉もこの時は母の口から出ませんでした。
 不登校状態で寝てばかりいる子も、よく休めて元気になったら気持ちも前向きになり自然と動き出すのかなと思います。でも・・・元気になったらなったで、家にばかりいる子についイラっとしてしまいますよね。老人と違って若い子の人生はこれからだと思うから、親はなおさら大きく構えゆったり待つのが難しいですね。
 
2009年09月02日 (水) | 編集 |
 「おれ、旅行したことない」と長く不登校していた子が私の顔を見て言いました。フリースペースのミーティングの時の出来事でした。「どこか行きたいとこないの?」と私が質問した時、いつも無口な少年がそう言ったのです。その時は何気なく受け流してしまいましたが、その言葉が耳について離れません。
 「旅行したことない」とわざわざ言うということは「旅行したい」と言っているようなものです。だけど親は忙し過ぎてなかなか一緒に行けないし、親が「どこか行きたいとこない?」と誘っても「別に・・・」と言うだけで話にのってこないそうです。だから親は子どもの本心に気付かないのです。

 私にも覚えがあります。「何か欲しいものない?」と親に聞かれても「別に」と答えていました。それは、今思えば「私は今までどんなにさびしくてもずっと我慢してきた。我慢し過ぎて、今更そんなこと言われても素直に何が欲しいとは言いたくない。また分かりもしない。あなたは何故私の気持ちが分からないのだ。私が可愛くはないのか。愛していないのか」という意味だったと思います。私の場合はそれが「別に」という一言だったのです。確か十代の頃でした。
 そう考えてみると、彼の場合の「別に」が私の場合と同じかどうか分かりませんが、とても気になります。そしておせっかいなおばさんとしては「彼らをなんとか旅行に行かせたい」と思ってしまうのですが・・・。
2009年09月01日 (火) | 編集 |
 長い夏休みでした。でも「出来なかった事がいっぱい」と思ってしまうのは、子どもの頃といっしょです。休みなのだから、「休めばいいじゃん」と思えないのが悲しい。何かしらしていないと安心できないのはなぜでしょう。
 学校でさんざん叩き込まれたせいでしょうか。「長い夏休みをどう過ごすかで、差がひらきます」と毎年言われていたような気がします。そのせいか、大人になってからも「宿題がまだできていないと焦っている夢」をよく見ました。各教科から、横の連携をとらずにかってに出される山ほどの夏休みの宿題。人によっては親にしてもらったり、人のを写したり、大学生に頼んだりなどしてこなしている人もいましたけど・・・。
 「夏休みの過ごし方」はもっと自由であっていいと思うのですけど、「かってに休ませるとダラダラと過ごして何もしない」というのは本当でしょうか。・・・・・・・・・・?何もしないでいることなど人間にできるのでしょうか?何もしないというのは、本当はどういう状態のことなのでしょうか?・・・・・・・・うーん??

 課題のないこの長ーい夏休みで分かったことがいくつかあります。その一つが「自分の好きなこと」です。すごいでしょ。やらされることがないので、退屈な時ついついしてしまうこと、それは「わたしの好きな事」なのです。これが分かった事は大きな収穫です。それから私には「友達がいた」ということもあらためて分かりました。これもすごいでしょ。うーんなかなかいい夏休みでしたね。

 ところでこの1ヵ月、日本中選挙、選挙でしたね。わたしは民主党の菅直人氏が近所に来られたので側まで行って、「菅さん、次の大臣に渡してください」と「届け!!文科省まで」を差し出しました。そしたら「誰がなるか分からないけど」と受け取ってくださいました。その後あの本はどうなったでしょうか・・・。知っている方は教えてください。