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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2010年01月31日 (日) | 編集 |
胸を張っていいますが、日本一やさしい生徒達に恵まれた日本一幸せな教師達でいられることを、心から感謝しています。

この言葉は1年前にもこのブログで紹介したんですが、こんな言葉を聞かせてもらったことに、心から感謝しています。
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テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2010年01月29日 (金) | 編集 |
ある方から、ある偉い人たちの、いじめや不登校について話し合う会議の様子を聞いて、息子が通っていた学校の校長の言葉を思い出しました。

うちの子が登校拒否になって2年経とうとする頃、他にも登校拒否の子が増えているのを校長が認識した時のことです。子どもに人気の、人の良さそうなその校長は「こんなに登校拒否が増えたところをみると、何か学校側にも原因があるのかな・・・」とおっしゃったのです。
それと全く同じ言葉を、今校長をしている方がしみじみとおっしゃったそうです。・・・・・・・。16年間、誰も何も引継ぎをしないわけではないでしょうに・・・。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2010年01月28日 (木) | 編集 |
私の育った家は佐世保の町の真ん中にあつたけど、私は幼い頃、家の周りのどぶ板をはがし、スコップで臭い泥をすくい上げていました。町内一斉にやっていたような覚えがあります。あんなこと今しませんよね。そういえばトイレは汲み取りでした。臭かったけど、それが普通でした。今あまりあんな匂いしませんね。
2010年01月27日 (水) | 編集 |
 ある方から聞いた、ある英語の先生の話です。その先生は、不登校の子どもには無料で教えていらっるそうです。それだけでも素敵でしょ。でもそれだけじゃないんです。

 先日その先生の家へ「どんな先生なのか」と親といっしょにある子どもが話を聞きに行きました。そして、丁寧な説明を受けたあと、子どもが「習ってみようかな」と決断した時、その先生は「ぼくは、君の面接試験に合格したんだね」と言われたそうです。素敵でしょ
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2010年01月26日 (火) | 編集 |
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2010年01月25日 (月) | 編集 |
こども もくもく
いろいろ あそび

おとな もともと
それぞれ こども

みんな わくわく 
うきうき まなび

こころ きらきら
ふくふく えがお
2010年01月24日 (日) | 編集 |
齋藤先生の講演会のお知らせが、新聞に載った日、二件問い合せの電話がありました。反響早いですね。
2010年01月23日 (土) | 編集 |
親の会などで話を聴くのは、私にとってはとても難しいことです。でも、最近少しずつ上達しているとも思います。これまた子どもの不登校のお陰でしょうか。私は合唱をしているので、合唱力の向上の仕方に似ているなぁと思います。少し分かりにくいかもしれませんね。

合唱の初心者は自分のパートの音をとるのに精一杯で、最初のうちは他のパートを聞けません。でも練習して慣れてくると、自分のパートを歌いながら、他のパートの音を聞けるようになり、また聞きながらの方が歌いやすくなったりするものです。そんな感覚に似てるなぁと思います。

つまり、練習も必要ではないかということです。そして、練習すれば必ず上達すると思います。上達すれば、楽しくなります。多分ね。
2010年01月22日 (金) | 編集 |
昨日、広島市の書店から「届け!!文科省まで」の注文がありました。冊ですけど、感激
それにしても、どこから伝わったのかな・・・。
2010年01月21日 (木) | 編集 |
・・・略・・・人生大変の連続ですよねぇ(笑)でも私は両親から授かった性格と、その後の生活で知り合った方々からかけて頂いたスパイスのおかげで、とことんポジティブな性格が育まれています。
 それでも落ち込むときはちゃんと落ち込むように心がけています(笑)平気なふりで平穏を装うほど、私は達観してはいません。今の自分にしっかりと寄り添うことの大切さが、最近ようやくわかりはじめているような、そんな気がしています。「無理しないで」というのが、社交辞令ではなくえらく心に響く応援歌に聞こえる今日この頃です。
2010年01月20日 (水) | 編集 |
ブログにFC2カウンターというのがあって、このブログを見た人の数が分かるようになっていますが、先日どういうわけか17名になっていたんです。新記録です。ちょっと嬉しかったんですけど、今日はその喜び具合を書こうとしているのではありません。

その新記録が出る3日前も11名で、このブログとしては多かったのに、棒グラフで比較すると、少なくなったかのように感じてしまう。おかしなものだなぁと思ったのです。11という数の絶対値は変らないのに、人数が減ったかのように少なく感じる。前日の3名もちょっと前まで普通の数だったのに、とてもとても少なく感じる。人の感覚ってそういうものなのだなぁと、改めて感じたのでした。

多い少ない、高い低い、強い弱い等々、比較することで生まれた言葉なんだろうなと思い、人は無意識に常に何かを比較しているのかもしれないと思ったのでした。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2010年01月19日 (火) | 編集 |
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テーマ:お絵描き教室
ジャンル:学校・教育
2010年01月18日 (月) | 編集 |
本校に入学してくる子ども達は、皆へとへとに疲れています。わらをもつかむような想いで、本校にたどり着くのです。子どもだけでなく保護者の方もです。自己否定感にさいなまれた疲れきった彼らには、「夢」を見る権利があるんだということからまずは前を向かせたいと思っています。「足し算引き算でつまずいた僕は大学になんか行けやしない」「友達もいなかった僕が、キャッチボールもできないのに野球部には入れはしない」「変わり者だと言われてきた私に、友達なんかできっこない」という発想ではなく、「こうなりたい」と思い描く心地よさを思い出してもらいたいのです。
2010年01月17日 (日) | 編集 |
また朝が来てぼくは生きていた
夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
柿の木の裸の枝が風にゆれ
首輪のない犬が陽だまりに寝そべってるのを

百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
あたり前な所のようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ

いつだったか子宮の中で
ぼくは小さな小さな卵だった
それから小さな小さな魚になって
それから小さな小さな鳥になって
それからやっとぼくは人間になった
十ヶ月を何千億年もかかって生きて
そんなこともぼくら復習しなきゃ
今まで予習ばっかりしすぎたから

今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
ぼくに人間とは何かを教える
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
その水をわかちあいたい


これに曲が付いた、とても難しいけど、素敵な合唱曲を今練習しています。


2010年01月16日 (土) | 編集 |
あとどれくらいで元気になるのか?あと何年待てばいいのか?よく耳にする言葉ですし、私もその疑問を不登校の先輩に投げかけたことがありました。ある方から「5年はかかるよ」と言われ、絶句したのを思い出します。そして今、同じ質問に即答できない私がいます。

ある人は「大丈夫、元気になるよ」と言われます。私もその言葉を友人に言ったことがあります。でも、時々立ち止って考えます。大丈夫と言ってしまっていいのだろうかと・・・。こんなことを書くと、とても不安になられる方もいるかもしれませんが、正直な気持ちです。

「5年はかかるよ」と言われ、過ぎてみれば子どもが完全に元気になるまでに確かに5年かかりました。見方によっては「たった5年」なのかもしれません。でも、この5年間も子どもの人生の一部です。良くも悪くも、彼の血となり肉となった5年間でした。その間もその後も、彼は成長を続けました。

ここまで書いて、一つのことに気づきました。「あとどれぐらい待てばいいのか」と苦しむ心の内には、今の状態を早く抜け出したい、今の状態は子どもにとって意味が無い、無駄な時間だという気持ちがあります。だからとても苦しいのです。

それから、こうも言われます。「いつまでとはっきりしていれば待てるけど、出口が見えない」と。そうですよね。はっきり予定は立てられません。
そこで、もっと冷静になると、勘違いしていることに気がつきませんか?人生にはっきりとした予定は、そもそも立てられないのです。順調にいっている時は気づかないけど、みんなとても危ないところを歩いているのです。そんなときはのん気に下を見ずに歩いているので、どれだけ危うい道を歩いているのか気づかないのです。知らないままの方がよかったですか?そうかもしれませんね。私もそう思いました。崖っぷちを歩いていることに気づいたとき。

でも、気づいてしまったら、勇気を出すしかありません。勇気を出して歯を食いしばって、時には助けを求めて、そして、冷静になって、自分を信じてゆっくり一歩を踏み出すしかありません。大丈夫です。今まで歩いてきた道とさほど変りはないのですから。そうですよ。
ただのん気に歩いていた時には見えなかったものが見えてきませんか?そして、あなたの五感は、危険を察知して研ぎ澄まされています。それこそが宝を見つけ出す力となります。そうなのです。だから決して無意味な無駄な時間ではないのです。


自分で書きながら気づいて、結構私はとくな性格かもしれません。人の子どものことが気になって、ちょっと憂鬱だったのです。少し楽な気分になりました。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2010年01月15日 (金) | 編集 |
先日、斉藤先生の講演会のチラシを不登校支援者に見せた時の話です。

ある先生が「『こんないい学校がある』と思った子は、(不登校になった)学校に戻らなくなるかもしれないと心配します」と言われました。・・・・・・・・・。
その時私は「そんなことないですよ。いい学校やいい先生がいると分かれば、大人に対する不信感も和らぎますから」と答えたら、ほっとされていました。ですが・・・。

帰り道、自転車をこぎながら、もっと根本的なことに気づきました。本来、学校をいい学校にする努力をすべきでしょう。それなのに学校に子どもを合わせようとしている。既存の学校に適応できるように子どもを指導している。これでは不登校は減りませんよ。個性豊かな子どもたちに適応できる学校づくりをしないと。勇気を持って子どもに適応できるよう学校側を指導しないと・・・。

あの先生も職場を離れたら、もっと自由な発想がお出来になるのでしょうけど、残念です。あの壁を打ち破れないと熊本の不登校は減りません。私はそう思います。もう少し私も頑張ります。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2010年01月14日 (木) | 編集 |
「夢は必ず叶う」と大人は子どもを導きます。私にはぴんと来ません。叶わない夢もあります。夢は叶えるためにあるのではないと思っています。叶えようと努力する過程に意味があるのであって、成功か失敗の2つしかない結果には、さほど意味を感じることができません。


同感です!(2009.12/17の記事参照)
2010年01月13日 (水) | 編集 |
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2010年01月11日 (月) | 編集 |
ある会合で、ある方が話し始めると、私は「また同じ話か」と思って、すぐにイライラしていました。そして、その方の話は私の心に響かないし、私にとっては殆ど雑音でしかありませんでした。どうにかしてその方が口を挟まないようにしたいと思っていたのですが、先日ちょっと姿勢を変えて、真摯に話を聴くように努力してみました。

そしたら、私の中に変化が起こったのです。私は、その方が話される時とても緊張なさっていることに初めて気づきました。その方の鼓動まで聞こえるようでした。今まではどちらかというと「ずうずうしい無神経な方」と思っていたので、ちよっとびっくりです。

そして、さらに話し手だけではなく、その他の人の息遣いも、少しではあるけど同時に感じることができたのです。すごい!相手はいつもと同じはずなのに、私が受け取る姿勢を変えただけで、ずい分違う姿が見えてくるものですね。これはいろんな場面で言えることかもしれません。

それから、私の中の変化は相手にも伝わったのではないでしょうか。そして、私とその方の距離はほんの僅かですけど、近づいたと思います。だから別れ際に自然と話しかけ、ぶしつけな要求もできました。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2010年01月10日 (日) | 編集 |
齋藤先生のユニークな発想 (2009.12/17の記事参照)

本校は職員室横にちょっとした歓談スペースがあるんです。私がこだわったのは、「お茶のみ話は職員会議の数百倍の効果がある」という発想でした。堅苦しい会議も当然大切ですが、真に貴重な発見は、日々の何気ない談笑の中から生まれるものです。
2010年01月08日 (金) | 編集 |
今日は半月前に生まれた赤ちゃんに会ってきました。ふにゃふにゃしていて小さくて、かわいい限りです。
半月前に母親になった女性にも会ってきました。彼女は無痛分娩がうまくいかず「死ぬかと思った」と言ってました。でも、どことなく以前より穏やかな顔つきでした。
そして半月前に孫の出産に立ち会った新米おばあちゃんは、その時心配で気分が悪くなったそうです。それでも、初孫に目じりは下がりっぱなし。
それから半月前に叔父さんになった青年にも会ってきました。彼は手馴れた様子で赤ん坊を抱いていました。父親と見間違えるほどです。
父親とおじいちゃんは仕事で留守でした。新米おじいちゃんは「好きな名前にすれば」と言いながら、注文が多かったそうです。

そして私は、まだ生まれて半月の赤ちゃんの記憶の片隅に刻まれるように「はじめまして」と、ほっぺをそっと触ってきました。

この子の生きる未来には、私にも責任があります。・・・・
2010年01月07日 (木) | 編集 |
ちょうど一ヵ月後にせまりました「齋藤先生の講演会」(2009.12/17の記事参照)にさきがけ、少しずつ先生の言葉ををご紹介しておこうかと思います。
「どうして齋藤先生はこんなに優しいのですか?」という私のメールでの質問に対しての先生の返信の一部です。

  ・・・略・・・理由は明確です。立花の生徒たちが私たちをそうさせるのです。私たちは彼らを導いているわけでもなんでもありません。ここにこの選択肢があるだけで、後は勝手に子ども達が前進していくのです。逆にその姿から学ばせてもらっているのは、我々教職員です。・・・略・・・
2010年01月06日 (水) | 編集 |
ある子の大きな不安の一つに、両親の不仲がある。小さい頃は仲が良かった。それが今では会話もなくなった。
「私が学校へ行けなくなってから、母と父の仲は悪くなった」その子はそう思っている。だからなおさら「どうにかならないものか」と悩んでいるのだけど、両親の間には冷たい空気が漂うばかり・・・。

両親も分かっていると思うのだが・・。父親は「妻が賢過ぎると気が休まらない」とつぶやき、母親は「夫が幼過ぎる。もういいかげん大人になって!」と嘆く。二人の話し合い?は平行線。ぶつかる事さえ避けている。子どもはなんとか機嫌をとろうと気を使うけど、その姿を見ても両親は譲らない。譲れない。・・・こんな時、どうしたらいいんでしょうか?


テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2010年01月05日 (火) | 編集 |
ここ数日、私は帽子作りに夢中になっていました。不精であるが故に、虫食いの穴だらけになってしまったセーターで、かわいい帽子か出来ないかと思い立ち、悪戦苦闘していました。まだ着ようと思えば着れなくもないセーターにハサミを入れるのはためらわれますけど、一度切り始めたら、快感です。

どうにかこうにか形にはなったのですが・・・いまいちです。それで残ったセーターの残骸と、娘からのプレゼントのラッピングに使ってあった毛糸で花を作り、初売りで手に入れた安い帽子の派手な飾りと取替えました。こちらはばっちりです。十倍の価値に跳ね上がったと思います。自我自賛ですが・・・。

なぜこんなことをしているかというと、お正月には気分一新おしゃれをしたいものですから。そして「世界に一つしかないものに囲まれて生活する」のが私の夢ですから。

2010年01月03日 (日) | 編集 |
長く不登校状態の13才の子が「私これから、どうなるの?」とお母さんに聞いたそうです。「私これから、どうしたらいい」ではなく、「私これから、どうなるの?」と・・・。

そして、また別の子は「私が辛いのは、喘息の発作が出ることと、学校へ行っていないこと」と言ったそうです。

これらの言葉から、どんな心を、どんな気持ちを想像しますか?


「私これから、どうなるの?」とは、不安でしょうがない気持ちが一番強いように思いますが、現状を変えたい、打ち破りたいという気持ちもあるように思います。少なくとも「嫌な学校に行かなくていいから、毎日楽しい」とは思っていないことが分かります。母親に頼っている姿も感じ取れます。どうにかしたい気持ちはあるんだけど、まだお母さんが頼みの綱といった感じでしょうか。

「私が辛いのは、喘息の発作が出ることと、学校へ行っていないこと」と言った子は、「喘息を治して、学校へ行きたい」と言っていることと同じではないかと思うのですが、皆さんはどう思われますか?こんな言葉を我が子が発したら、どうされますか?
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2010年01月02日 (土) | 編集 |
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私の場合、今年の元旦は2月7日です。