FC2ブログ
💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
| Login |
2011年04月28日 (木) | 編集 |
昨日、ある方が
「公立の高校の生徒が、中退を思いとどまって、やっとの思いで三年になったのに、教室でケータイがなったとき、担任がその子のだと決め付けてケータイを取り上げたのよ。そして間違いだと分かってからも、一言の謝罪もないんだって!」と嘆かれました。「せっかくきついのを我慢して学校に留まったのにひどい」と言われるのです。


さらに話を聞いてるとその子が2年の終わり頃、中退のことを当時の担任に相談した時「中退するなら早く決めないと、もうすぐ三年になるぞ」と言われたとか。

これってどういうことなんでしょう。   教員って中退を止めたりしないのかな・・・公務員だと、生徒が減っても関係ないのかな・・・よくわからないけど、年度内にはっきりしないと何かと面倒だということでしょうか。



スポンサーサイト
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2011年04月27日 (水) | 編集 |
電力不足が問題になっています。原発を使わないと、20年前の状況に戻ると、ある番組で心配していました。?20年前、私の子が小学校低学年の頃です。

我が家はわりと平和で、電化製品も一通りあって、そういう意味では何も不便さを感じていなかったけどなぁ・・・

工場とかが困るのかな・・・

物不足、食糧不足と言いながら、私の身の回りには、使われないで眠っているものが山ほどありますし、食べ物を腐らせてしまうこともあります。コンビにでは、消費期限の二時間前にお弁当を処分すると聞きました。なんかへんですよね。


経済は難しくてよくわかりません。節約ばかりしていると、お金が回らなくて、経済が落ち込むらしいですね。だから消費を刺激しないといけないらしい。そして物を消費して、また物を買う?

経営がうまくいっていないのに、マンションを造り続けている業者がありますが、ああいうのを自転車操業とかいうのでしょうけど、とても変ですよね。余っているのにつくって、また余らせて・・・・・

経済って、ほんとよく分からない。経済が潤って、人が幸せになるのかというと、必ずしもそうではないような気がします。

他社より一歩先を行かなければ生き残れないという考えで走り出すと、一時も気が抜けません。もちろん休めません。そうやって命を削っていって、どこに行きつくのでしょう。多分行き着くゴールなどないのです。
 一生懸命働いていらっしゃる方に、とても失礼なことを言っているのかもしれません。ただ、もうすこーしゆっくりスローテンポでもいいのではないかと思うのです。
[続きを読む...]
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年04月26日 (火) | 編集 |
昨日の記事を読んだ方は、息子がパッチワーク??何のこと・・・と思っていらっしゃるかもしれません。

河原町のアートの日のワークショップで、布でハートをデザインして切り貼りした作品を繋げて欲しいと言ってきたのです。なんでも、有名なデザイナーの方の・・・名前忘れましたけど・・・呼びかけだとかで、被災地に送るのだそうです。


人から何かを頼まれると、面倒くさいと思いながら、頼りにされたという事実には、ちょっぴり嬉しくなりますよね。だけど息子は、すんなり有難うと言いません。
「こんなに端を揃えなくてよかったのに」とがっかりさせるようなことをまず口にします。それからシャワーを浴びて着替えながら「何時間掛かった?母親パワーはすごいなぁ」とつぶやいていました。そして「これを写真にとって表紙にしよう」などと言うのです。


おいおい、逆でしょ。人に頼み事をしたら、とりあえず感謝してよね。そしてうまく褒めなきゃ・・・変なところが父親に似ているんだから。

価値観も、生き方も、全く違う親子なのに、語り口というか、話し方や人に対する態度なんか妙に似ているんですよね。不思議です。・・・こんなことを書くつもりではなかったのですが・・・


とにかく、人は頼られると嬉しくて、頑張ろうという気になるのです。言葉を変えれば、信頼されると、信頼に応えようとする。人間はそういう生き物だろうと思うのです。・・・・・負担になりすぎないよう、その人の力量を考慮することを忘れてはいけませんけどね。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2011年04月25日 (月) | 編集 |
息子からパッチワークを頼まれました。パッチワークと言ってもざっと繋げばいいというのですけど・・・

ちょっと刺繍糸が余っているので、それを使っています。刺繍糸って、六本の細い糸を束ねて太い糸にしてあって、模様に合わせて、二本、三本、と糸を引き抜いて使うものなのですよ。もちろんそのまま六本使うこともあります。

それで、この糸を引き抜くとき、焦ると必ず絡んでしまって、余計時間が掛かったり、にっちもさっちもいかなくなって、糸を無駄にしてしまったりするんですよね。

穏やかに、糸の様子を見ながら引き抜くと、すんなりできます。・・・これって、子どもへの対応とあい通じるものがあるなぁと、一人感動したりして、今パッチワークを楽しんで?いるところです。


テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2011年04月24日 (日) | 編集 |
私が運営委員をしている団体の講演会です。

15周年記念講演会  登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと

社会への0.5段

不登校から自立へ

講師 齋藤眞人 立花高等学校 校長

と き ■‘11年 6月12日(日)
     受付1時 1時半~4時 (総会は午前中)
ところ ■ くまもと県民交流館 パレア  会議室1
     鶴屋東館9階 水道町下車すぐ
参加費 ■ 一人1000円 (18才未満無料)


主催/登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと
後援/熊本県教育委員会 ・ 熊本市教育委員会   (申請中)


2011年04月22日 (金) | 編集 |
アメリカでは、銃がかなり簡単に手に入るばかりか、銃を持つことで犯罪が防止できると信じている人たちが、まだ多数派のようだと聞いて、ちょっとびっくりしました。日本にいると、大学生が身を守るために銃を持つことを、州の条例で後押ししようなんて、考えられないことですよね。

でも奴隷制度も、今では殆どの人が否定する制度ですげど、以前は反対することにかなりの勇気が必要だったようです。

人は余程のことがないと、自分の価値観を改めることができないものですね。・・・逆に考えると、余程のことがあれば、変えられるということになるかもしれません。


子どもの不登校は、大人にとっては大地震のようなものです。子どもが大人に大きな衝撃を与え、それまで隠れていた問題点を液状化現象のように浮かび上がらせ、考えさせ、修正させます。

じっと耐えていた子が、耐えるのを止め行動に出るとき、それは場合によっては、暴力であったり、自傷行為であったり、ひきこもりであったりしますが、それらは全て意味のある行為だと思います。

大人は、それを制止しようとか、改善させようと必死になりますが、うまくいきません。子どもがどうしてそんな行為をするのか、その心の声を聴こうと努力することでしか治める事はできないと思います。


大地震は、大地の悲痛な叫びです。それを上から封じ込めることはできません。
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年04月20日 (水) | 編集 |
snap_todokekoe_20113011504.jpg
[続きを読む...]
テーマ:お絵描き教室
ジャンル:学校・教育
2011年04月19日 (火) | 編集 |
今日は、とても嬉しいことを聞きました。

先日、「届け!!文科省まで」をある保健センターに寄付してきたのです。「どうぞ、読んでください」と。
そしたら、今日、そこで働いている子育ての支援をしている福祉員?の方が、「本を出されたんですね!職場で、回覧で回ってきました」とおっしゃるのです。

やったー(^u^)/  

教育委員会では回っていないようですけど・・・・
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年04月19日 (火) | 編集 |
19年前のちょうど今時分・・・・息子が学校を休み始める前、登校途中で吐いたり、学校で吐いたりしていると、私の耳に入ってきました。当時、いつ登校拒否になるだろうと、恐れながら日々送り出していましたけど、私は「無理しなさんな」とは言えず、そのまま様子を見ていたのです。

「できればなんとか乗り越えて欲しい」当時はそう思っていました。そして、ついに休む日が来た時は、やっぱりかなりショックだったと記憶しています。

あの時「休んでいいよ」と言っていたら、息子はどうしたのでしょうか。・・・あれこれ考えるに、その言葉が、私の心の底からの言葉なら、息子はほっと出来たと思います。でも、形だけの、心とは浦腹の言葉だったら、どうだったでしょうか・・・。当時の私に、心の底から言える根拠は何も持ち合わせていませんでした。


そして息子本人ですが、彼は「行くのも行かないのも辛い」と言っていました。ということは、「学校に行きたい、行かなければいけない」という想いがあったということだと思います。

矛盾するものを抱えて、親も子もゆれます。心が葛藤する時はとても苦しいです。でも、あの苦しさは無駄になっていないと、今は確かにそう思います。壁にぶち当たりながら獲得した力は、簡単に授けられた知恵より、遥かに確かな糧となると確信しています。


私は、不登校になった子と、その子ときちんと向かい合っている親の力を信じます。

テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年04月18日 (月) | 編集 |
「早く何とかして欲しい」という言葉が、東日本の状況を伝える番組でたくさん聞かれるようになりました。それは一つには、そう発言している人の不安の現われだと思います。・・・確かに私も早く安心したいです。だけど、そう「早く、早く」と思って事にあたっても、なかなかうまくいかないことを、不登校を経験した者は知っています。

避難生活をしている人たちの辛さと、不登校のそれとは、同じではないことは分かっていますが・・・・・。


「多くの不登校の子どもたちは、自分に被害が及ぶ場所、学校という所から、比較的安全な我が家に避難している」そう考えると、彼らは避難生活を長期間に渡って続けている被災者ということになります。彼らだって「早く何とかして欲しい、何とかしたい」と思っているでしょう。しかし、社会全体で救助しよう、支援しようという体制には、なかなかなりません。どうしてでしょうか?

不登校は、巨大地震の時のように、一度に大勢が同じような被害を受けるものではないし、「ここに避難しています!」と大きな声で助けを求めたりはしません。だから認知されにくいのかもしれません。

だけど、状況は意外と深刻だと思います。どういう意味かと言うと、不登校という現象が炙り出している問題は、社会全てに関わる問題だからです。その大事な問題点に気づく人は、未だに少ないと思いますが・・。

例えば、不登校と同じように増えているのが自殺者です。年間、約三万人以上だと聞きます。その数は、今度の被災で亡くなられたり、不明になっていらっしゃる人の数とほぼ同じです。そして、自殺する人は今年だけではありません。近年、毎年同じくらいの人が自ら命を絶っています。・・・・・毎年、あの津波に飲み込まれた人の数以上に亡くなっているということです。

そんなことにならないように避難しているのが、不登校の子どもたちだと考えることもできます。彼らは決して怠けているのではないのです。それは避難所の人たちが怠けていないのと同じだと考えてみてください。

どうにかしたいのは、彼らです。彼らが誰よりも「どうにかしたい」と思い、日々不安でいます。そして、それでも時折笑顔を見せたり、家のことを甲斐甲斐しく手伝ったりしているのです。

無闇に深刻になるのはよくないと思います。でも、忘れないでください、長く避難生活をしている不登校やひきこもりの子どもたちのことを。そしてさらに、避難さえ出来ないでいる子どもたちがいることを!
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年04月16日 (土) | 編集 |
今日、私が住んでいる小さな山の麓にある公園で、子どもたちとおじさんが鬼ごっこをして遊んでいました。幼稚園から小学校三、四年生くらいまでの子ども六人と、60歳を超えていると思われるおじさんです。

このおじさんは、顔は日焼けで真っ黒で、頭はグレー。チェックのシャツに、黒っぽいズボンを履いていて、「おじさん、おじさん」と子どもたちから呼ばれていました。

小さな滑り台の周りを、きやーきやー言いながら子どもたちが逃げ回り、それを日焼けしたおじさんが元気に追いかけています。

いまどき、こんなに楽しそうに鬼ごっこをしている姿を見ると、つい珍しいと思って立ち止って見てしまうんです。私たちの小さい頃と同じだなと思って。

私も鬼ごっこくらいしたんですよ。そう言えば、ブランコを強く揺らして、ブランコを囲ってある鉄製の囲いを飛び越える男の子いましたね。ちょっと憧れていました。

そんなことを思い出しながら歩いていると、その近くで、また珍しいものを見つけました。ゴミ箱です。分かりますかね、コンクリート製で、犬小屋程度の大きさで、四角い木製の蓋がついてるゴミ箱。もう蓋はなくなっていてましたけど・・・。


そこは、我が家から歩いても20分位のところなんですけど、こんな風景があるのを、つい最近まで私は知らなかったんですよ。ときには地域を歩いてみないと・・・。知らないことって多いですよね。のんびり歩くと、いろいろな人と出会います。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2011年04月15日 (金) | 編集 |
息子が「被災地とか被災者とか繰り返し言っているけど、言われるほうは嫌なんじゃないかな・・・」とつぶやいていました。「不登校だった」と言われるのが嫌だと言っている息子です。当然の感覚かもしれません。

呼び方は、イメージを創り出します。だから「障害者」と呼ばれるのを殆どの人が嫌がります。そしてそのことに気を使って、「害」という字を「がい」とひらがなで表記したりします。


だったら、それを逆手にとったらどうでしょう かの有名なエジソンも、障害があったと聞きますし、学校へ行っていなかったそうです。だから「エジソン症候群」とかいうのはどうでしょうかね。「アインシュタイン症候群」でもいいですよ。ちょっと賢くなったような気分になりませんか?

おかしなものです。事実は何も変わっていないのに、呼び方で受けとり方が変わるのは・・・・・。だけどそれが人間ですよね。機械なら、そういう感覚は持ち合わせていません。こういう状態なら、こういう名前をつけるとインプットすれば、なんの抵抗もなくそう覚え込むだけです。


人間の愚かさや弱さは、そのまま人間の魅力になっているのでしょうね。つくづく厄介な生き物です。
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2011年04月14日 (木) | 編集 |
普段無口な子が、たまにとても機転のきいた冗談を言うと、とてもおかしくなるものですね。

先日のフリースペースの子ども達との花見のときのことです。公園の藤棚の下に、各自持ち寄ったお弁当を広げました。準備が整って、美味しそうなお料理を前に間が持たなかったのでしょう。何となく食べ始めようとするので、「何かあいさつでもしてくれないと、始めにくいね」と言いました。そしたら、いつもはマイペースで淡々としている少年が「それでは皆さん、お飲み物をお持ちください」と言って、みんなが乾杯の準備をしたら、なんと

「はっけよーい、のこった!!」と言ったのです。爆笑です。一瞬にして場はなごみ、初参加者のお母さんとお嬢さんも、ほっとされたようでした。

子どもは成長しますね。


ただ、一人、また家で悶々としている子がいて、お母さんだけの参加のところもありましたけど、子どもたちはその子を心配しながらも、焦らず待つことを決めたようです。
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年04月12日 (火) | 編集 |
今夜は少しひんやりしています。いえいえ今夜でした。


あのぉ、このブログある高校を宣伝するブログではないのですけど、勘違いされるくらい取り上げていますよね。・・・・・・・・・・うーんどうしましょう。

私としては、感じたままを書いているのです。もっと言えば、他の学校もあの学校のいいところをもっと取り入れて欲しいのです。特にゼロを基本に積み上げ、努力を無駄にしないパイルアップという考え方を。

誤解のないように、念のために申しておきますが、あの高校への入学を斡旋しているのではありません。全く違います。色々な子がいるわけですから、色々な学校があったほうがいいのです。その子が本当に望むところに行けたらいいのです。

大事なのは、子どもが「こうしたい」と自分の気持ちを言えること。そして、その望みを叶えられる環境を、大人が整えてやることではないかと思うのです。そういう意味であの学校の校長は、全力で、しかも喜んで、うきうきしながらその仕事に励んでいらっしゃいます。その笑顔は、失礼を承知で言いますが、少年のように無邪気です。

申し訳ないけど、あんな校長他に知りません。
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年04月11日 (月) | 編集 |
熊本に金峰山という山があります。緑に覆われた山で、私が住んでいるところからは西にあるので、いつも夕方になると、夕日と共に目に入ります。私の故郷にある烏帽子岳と姿が似ているので、なんだか懐かしい気分になるのです。

この山、実は休火山らしいのです。つまり、いつか噴火するだろうということです。その時は石くらい飛んでくるでしょうね。

先日、ご近所の年輩の方々とお話していましたら、「そこの坂を山の上から石がゴロゴロ転がってきたことがあったのよ」と教えてくださいました。(噴火ではありません) そして、50年以上前の大水害の時の話し。お年よりは知恵袋です。

それにしても今回の大震災は、1000年に一度の災害だとか聞きます。1ヵ月経ちましたけど、まだまだ一ヶ月しかたっていないと考えるべきでしょうか。余震もまだあっています。関東に住む友達も「いいかげんにして」と言っていると思います。まぁ私の友だちは変な人が多いので、乗り切るでしょう。いつも忘れてはいませんよ。いざとなれば、出来る限りのことをします。


地球上どこでも地震はあると思っていましたけど、娘が住んでいたカンザス州はまっ平な土地で、山がなく、地震も今まで全くないと言っていました。つまりこの日本の美しい景色は、危険と引き換えにあるということなのですね。さらに言えば、尊い命と引き換えにこの美しい山々や、温泉や、美味しい湧き水があるのでしょう。そう思って身の回りを見ると、今までとはまるで違って見えてきませんか。

2011年04月11日 (月) | 編集 |
不登校の親の会で知り合ったお母さんと娘さんをフリースペースのお花見に誘ったら、知らない人がほとんどなのに、お弁当を持って来て下さいました。そして、嬉しいことに「娘と二人、悶々としていましたけど、外で皆さんとご飯を食べて、気持ちが楽になりました」と、お電話をいただきました。

そのお電話を頂いて、私のほうこそ気持ちが楽になって、嬉しくなって、生きてて良かったと思えてきました。そして、先日聞いたあの校長の入学式での「君たちがいなかったら、愛したくても愛せない、出会ってくれてありがとう」という言葉が思い出され、先生のおっしゃる通りよねと思いました。


あの校長の言葉が心に染みるのは、ウソがないからなのでしょう。本当に心からそう思っていらっしゃると実感します。在校生への感謝の言葉から始まって、やっとの思いで来たであろう新入生に「もう頑張らなくていい」と言い。さらに「今日からは先生たちが頑張ります」と伝え、保護者の方々へは「二、三年生を信頼して、任せていただきたい。肩の力を抜いてください」と言われるのです。

こんな言葉を聞くと、ほっとして、楽になって、また学校に足が向くんですよね。こんな言葉は、どんなに忙しくても言えるし、予算がなくても言えるし、もっと他の学校でもこういう心に届く言葉を言って欲しいのですよ。そうすれば、ただそれだけで不登校は減ります・・・・・どの位減るかは別にして、確実に減ります。


ウソだと思うなら、試してみてください。減らない時は土下座でもしますよ。
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年04月10日 (日) | 編集 |
また模様替えしました。せわしくて申し訳ありませんが、携帯で見られなくなったと言われる方がいらっしゃるので、変えてみました。調子よければしばらくこのままの部屋です。

それにしても、同じ文章でも見せようで、可愛い人が書いているように感じたり、男性が書いているように感じたりします。・・・・・・・誤魔化されてはいけません

私の場合、ごまかしようがないところが悲しい
2011年04月08日 (金) | 編集 |
今日は朝から雨です。昨日がこんな天気だったら、出不精の私はずっと家にいたかもしれません。そしたら、あの幸福感を感じることなく、平凡な一日を過ごしたのでしょう。

昨日は、ある学校の入学式に行ってみたのです。皆さんは入学式って覚えていますか?私は、自分の入学式は殆ど記憶に残っていません。ですから当然校長のお話など覚えていません。

でも、昨日の入学式の校長と在校生のお祝いのメッセージは、不思議な感覚で私の心に残りました。それはもちろん私におくられた言葉ではないのですけど・・・・

この校長の言葉は、普段のお話や書かれる文章から予想のつくものではありましたが、直に耳にすると、その心地よさは格別です。今まで講演を何度か聴いていましたけど、送る相手が生徒達なので、そこには優しさしかありません。講演のような笑いを狙った余談も、隠れた怒りもありませんので、とてもふわっと・・・羽根布団の上にそっと寝かされたような心地よさでした。


内容については、今日は省略します。

ただ、お話が素敵なのはもちろんですけど、私が感動したのは別にもあります。

新入生の名前が呼ばれると、返事をして立ち上がります。すると校長はその子の顔を見ます。そして、手元に目を移して何か確認していらっしゃるのです。多分名前を確認していらっしゃると思うのですが、その作業を一人一人手を抜くことなく続けられるのです。

私はこういうことをされる校長を他にしりませんので、つい見入ってしまいました。こんなふうにして、忙しいのに生徒の名前と顔を全部覚えられるのかもしれないと思いました。



今日は、これくらいにして出かけます。
テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育
2011年04月06日 (水) | 編集 |
模様替えしました。これからもよろしく!!
2011年04月06日 (水) | 編集 |
ある「不登校・ひきこもりの解決策を教えます」というある方のホームページに
{子供が、「自分には何をしても裏切らない両親という存在がいるんだ」と思えるようになると、それが大きな自信となり、学校という窮屈な場所でも、自信を持って生きていくことが出来るようになります。}
と書いてありましたが・・・・・。

一読すると、そうねと思えるのですけど、なんか私としては違和感があるんですよね。・・・そこで私なりに考えて、自分の思いを、上の文章にそった形で文章にしてみました。

[子どもが「どんな自分でも心から愛してくれる人、あるいは心から愛せるものがある」と感じられれば、それが大きな支えとなって、どんな窮地に立たされても自分を信じて生き抜こうとするようになります。]と。

そして「学校という窮屈な場所」とありますが、私は「学校は窮屈な場所ではいけない」という基本的な考えのもとで動いています。むしろ、「学校は楽しい学びの場」であるべきだし、そうでないのならそうなるように変えていかなければいけないという考えで、このブログも書いています。


色々な考え方があっていいわけだから、非難しているつもりはありません。ただ、この方の言葉を読んで、私自身の今の考えを確認できました。これから新たな経験をしていくなかで、いろいろなことに気づき、変化していく部分はあるかと思います。でも私は「気がかりなのは不登校している子どもたちだけではない」ということを常に頭において行動していきます。

そんなこと言っても「目の前の我が子をどうにかしてほしい」と言われる方も多いと思いますけど、不登校になった子も、それまでは不登校ではなかったわけですから、「すべての子どものために、子どもをとりまく環境をどうにかしよう」と動くことを忘れてはいけないと考えています。

テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2011年04月05日 (火) | 編集 |
snap_todokekoe_20114211386.jpg



私が住んでいる「万日山」に、今春の新幹線の開通にあわせ、たくさんの櫻が植えられたと聞いたので、昨日登ってみました。ある会社から県への寄付だとか。植樹は、その会社の方たちがされたとか、散歩中の紳士が教えてくださいました。

かんひざくら、そめいよしの、おおしまさくら、しだれざくら・・・272本の櫻が植えられているようです。万日山に登ると、市内が広く見渡せます。来年は、みごとに花が咲くでしょう。


日本人は、どうしてこうもさくらが好きなのでしょう。


テーマ:お絵描き教室
ジャンル:学校・教育
2011年04月04日 (月) | 編集 |
コミュニケーション・・日本語で言うと何ですかね?・・・

この言葉ごく普通に使われていますけど、とても難しいと感じる今日この頃です。


何気ない言葉も聞き手の心のありようで、とても違って受けとられることがありますよね。・・念のために言っておきますが、一般論です。


元々私はこのコミュニケーションが苦手です。一人でいるほうが楽だったりします。だけどそれなのに人恋しくもあります。やっかいです。人間は、厄介な動物なのでしょう。


「おや?」と思ったとき、多くの人は首をかしげますけど、あれってどうしてでしょうか?首をかしげると、いい知恵が浮かぶ仕組みになっているのでしょうか?・・・それとも、首をかしげて相手に考えているとか、分かりにくかったとかを伝えようとしているのでしょうか?・・・・・

では、人は辛い時うつむいたり、頭をかかえたりするけど、これはどういう意味があるのでしょう?そうすることによって、少しでも辛さを和らげることができるのでしょうか?・・・よくわからないけど、何かしら意味があるのでしょうね。
周りの人に対しては「今、私は辛い。分かって欲しい」というサインなのかもしれません。
そうですね。人は知らず知らず、誰かに体でサインを送っているのでしょうね。


辛い時に元気を出そうと、わざと胸を張ったり、笑ってみたりすることもありますが、辛い時にする自然なしぐさは、誰かに「助けて欲しい」という合図を送っているということかもしれませんね。


だから、そんな心を悟られたくない人はいつも元気そうにしていたり、微笑を絶やさなかったりするのでしょう。



(どちらがいいとか悪いとか言っているのではありませんよ。)
テーマ:子育て・教育
ジャンル:学校・教育
2011年04月01日 (金) | 編集 |
被災地の子どもたちへのケアについて、今日もテレビで報道されていました。重要なのは次の三点。

・受け入れる
・信じる
・ねぎらう

やっぱり、不登校の子どもに対するときと同じですよね。
・子どもが反抗したり、甘えたり、普段と違う態度をとったとき、不安からだと理解し、受け入れる。
・自分が愛して育てた子だから、大丈夫と信じる。
・この子なりに一生懸命にやっている、頑張っているとねぎらう。

そして、こうも言われました。「子どもは傷つきやすいけど、回復力も強い」と。
その通りだと思いました。その通り不登校の子にも当てはまると思いました。そして、そういう対応をされた被災地の子どもたちは、みるみる本来の子どもの姿を取り戻しています。


では、何故不登校の子どもたちが元気になるのに数ヶ月から数年という長い時間が必要なのでしょうか?それは「受け入れる」ことがとても難しく、なかなか本当に受け入れられていないからではないかなと思います。

今回の災害は大人も同時に経験しているし、直接被害のない私たちでさえ、その恐怖、不安、苦しみを想像することができます。つまり、芯から共感することができるのです。
だけど、不登校の場合、どうして学校へ行けなくなるのか、なかなか理解されません。いじめがあったとしても、「どうしてそれくらいで」とか、「みんな嫌な事を我慢しているんだよ」とか言われます。そして多くの場合、本人も理解できず、自分を責めるのです。

この違いは大きいのです!この一番大事な「受け入れる」ということをしてもらえないということが、不登校の子どもたちを苦しめ続けます。

逆に言えば、しっかり受け入れられさえすれば、子どもたちは自分達の持つ回復力で元気になっていくのではないでしょうか。


もう一度考えてみましょう。理解しているつもりになっている方々も、もう一度考えてみてください。子どもの心を理解しているのか?子どもの心を理解しようとしているのか?・・・・私も、考えてみます。

テーマ:不登校
ジャンル:学校・教育