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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2015年07月27日 (月) | 編集 |
小中学校の教員を対象に不登校の母とひきこもり経験者の講話があると聞いたので、市外の公立中学校
まで、電車に揺られていきましした。そして、ちゃっかり付添い人として後ろの方で聴いていました。

二人の体験に基づく話が、とても良かったからだと思うのですが、質疑応答の時に、ビックリすることが起こりました。

50代の女の先生が、子どもではなく、自分自身のひきこもり体験を話されたのです。教員が100人以上集まっている中で話された勇気に感動していると、弟さんのひきこもりを話される先生、そして、息子さんの不登校を話さし出される先生と続きました。

私は、正直とても驚きました。親の集まりならよくあることですが、先生方は、中々自分の家族のことは話されません。この町は、とても理解ある町なのかもしれない。初めて来た町、初めて見る光景、何よりもそのことが一番印象に残った小さな旅でした。
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2015年07月26日 (日) | 編集 |
不登校は、なかなか解決されませんが、50年前よりはましになっています。当時は「キチガイ」呼ばわりされたこともあったようです。それから子どもの性格、親の育て方、教師の指導力、など、個人のせいにされ、その後、世の中の仕組み、社会の歪みへと、見方も広がって来たように思います。

私の個人的な考えを言わせていただけば、「原因は 千の糸の 絡み合い」というところでしょうか。

勉強や遊びによる生活の乱れがベースにあったとしても、それはより便利で楽な生活を求める欲が背景にあると思います。
そして、原因がなんであれ、「学校に行けない子」というレッテルが、本来の原因を分かりにくくするほどの新たな苦しみを本人やその家族に与えます。そして教師にも、「不登校を出した先生」として。

だとすれば、価値観を変えるというか、広げれば、かなり楽になり、いい方向にいくと思うのですけど・・・。やはり、これがとても難しいということかもしれません。
2015年07月23日 (木) | 編集 |
「省略・・・このところ、牛や豚や魚を見るとなんだか切なくなります。釈迦が虫さえも殺そうとしなかった気持ちがわかるような気がします。」
と、メールをいいただきました。ありがとうございます。このメールに刺激されて、私も想いを書いてみることにしました。

どんなことでも乗り越えなくてはと思いながら、そしてまたそう伝えながら、すぐに挫折しそうになる自分がい.
.ます。

自分がとてもちっぽけに感じるとき、「このまま消えてもいいかな」と思ってみたり、
少し元気になると、そう、こういうメールを頂いたりすると、存在していていいんだと思ってみたり、
私は、常に揺れながら、さ迷いながら、命を繋いでいます。

そんな時に、若くして逝ってしまった人の話は、とても大きな衝撃でした。おかしいですね、そんなニュースは日々耳にしているのに、身近であるかないかで、感じ方が違うのです。

頭で理解することと、体全体で感じることは、かなり隔たりがあるのでしょうね。
「命を守る」と言うのは、簡単ですものね。
「信じて待つ」と言っても、待つ苦しみを乗り越えるのは、至難の業です。

多くの人は臆病で、少しずつしか前へ進めないのだと思います。
多くの人は愚かで、一度手にした考えを変えることはなかなかできない。
自分か゜小さな小さな存在だと認めることは、とても怖い。
一つの事に囚われていると、周りが見えなくて、小さなアリを踏んでいることに気づかない。
私は、今の私は、まだまだお釈迦様の境地にはたどり着けない。
日々、私欲との戦い。
ただ、生かされているうちは、生きていこうと思う。
きっと、いろいろな人生があっていいのでしょう。
後ろ指を指されようと、笑われようと、私はたわしを生きるしかない。
できれば、誰も殺さずに一生を終えられたらと、願うばかりです。

(ちょっと怖い話になりましたかね)

でも、最近、大きな光も見えてきているのです。小さなアリも力を合わせると、すごい!!!
2015年07月21日 (火) | 編集 |
2009年.2月.25日にアップしている
堂野博之さんのお話に拍手をしてくださった人がいます。ありがとうございます。

私自信、忘れていたこの記事を読み返しました。
当時のエネルギーを感じました。(汗)
2015年07月18日 (土) | 編集 |
最近、救急車やパトカーのサイレンをよく耳にする。今もこの地域のどこかで止まった。

ニュースにはならなくても、自ら命をなくす人はいる。最近またそれを実感した。

高齢者の鬱も増えているのかもしれない。
2015年07月15日 (水) | 編集 |
私の腕、ちょうどいい枕にされています。

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2015年07月14日 (火) | 編集 |
ある学校の通信に

「バラバラの 花こそ豪華に 咲き乱れ」 という 川柳が引用されていました。

「届け!!文科省まで」に私が書いたものを使ってくださったのだと思います。 


 私の川柳も 捨てた物じゃないということですね。(^-^;)
2015年07月13日 (月) | 編集 |
先日、バイト先で店番をしていましたら、感じのいい男性客が店内で最中を一個。あまりに暇だったので話しかけたら、宮崎の人でした。しかも、公立高校の教員。
教員と聞くと、私の出しゃばり心が騒ぎ始め、ちょうどもっていた三池先生の「不登校とすいみん」の話を記録したものを手渡していました。

そしてさらにお話を聞くと、学校で相談員と生徒などを結ぶコーテネーターをされているとか、
宮崎という所は、就職先がとても少なく、普通科より工業系の生徒に不登校が多いとか・・・・。

宮崎に行く機会はそうそうないので、ここはずうずうしく、私の手作り冊子「たとえば鯖」も渡しちゃいました。
宮崎の先生…また何かしら縁が繋がるといいなぁ。(^・^)
2015年07月10日 (金) | 編集 |
度々買い物に行くお店の娘さんが、もう一年前に亡くなられていたことを、ひょんな弾みで今日知って、私はとてもショックでした。
それも、皮膚癌をただのイボだと診断した医療ミスが原因で、あっという間に転移して亡くなったそうです。

お買い物に行けば、冗談を言ったりして、いつも笑顔だったお母さん、私が何も知らずにその病院の名前を出した途端、表情が崩れかけ、「〇〇は、かわいそうだった」と、息を詰まらせた。

生きたくても生きられない命がある。
かけがえのない命を救えなくて、それでも笑顔を作る人がいる。
「ご主人痩せましたね」と半年くらい前に声はかけていたけど、
まさかそんなことになっているなんて。
自分の馬鹿さ加減に、腹が立つ。

生きたくても生きられない命があるのに、
生きたくても死を選ぶ命もある。
そして、何度かのSOSの言葉を感じ取れなかった大人がいる。
その人は、自分の馬鹿さ加減に、今 気づいているのだろうか。

この国の行政の●も、血の通わないような発言を平気で繰り返しているようで、この国は、どこかおかしくなっているのだろうか。

おかしくなっているというより、まだ成熟していないということなのだろうか。
だとしたら、望みはまだあるかもしれない。
「正しく判断すること」ができないと、自分ではその意識がなくても、「人殺し」になってしまうということですよね。


〇〇さんのご冥福を祈ります。 
2015年07月07日 (火) | 編集 |
今日は、七夕らしいけど、これじゃ織姫は、彦星に会えない。
七夕は、旧暦でしてほしい。公園の笹飾りも、雨にぬれていた。

一年に一度だから、燃え上がる心もあるだろうけど、
一年に一度も会えない時が続いたら、熱も冷めるかもしれない。

星たちにとっての一年は、どんな意味を持つのだろう?
太陽の周りをぐるりと回って、季節が巡るのを愛でて、
人は、宇宙と無縁ではいられない。

ちっぽけでありながら、果てしない宇宙をさ迷って、
かけがえのない命でありながら、
その命を奪い合うことを止められないでいる。
訳のわからない悲しすぎる命、
訳のわからない果てしない宇宙。

果てしない宇宙の無数の星に届くようにと
私は 七夕の短冊に願いを書いた、
「この子が、幸せに暮らせますように!!」と

(7月16日に一部訂正)


2015年07月04日 (土) | 編集 |
20余年前に三〇輝久先生の講演を聴いて、私は「うちの子は学校は休んでいても、『休養が取れていない』と気づき、我が子への対応が変わり、息子は元気になりました。そして、「不登校の子は、カナリヤのように体をはって『学校社会』の危険を報せている」というような言葉に多大な影響を受けて、私は今に至っています。

そして、20余年の年月が、先生の考えにどんな影響を与え、私自身にどんな成長をもたらしたのか、今回、確認するいい機会になったと思います。

簡単にいうと、先生も、私も、少し丸くなっていました、頭と体が。^^;
20余年という年月は、決して短くはないですよね、赤ちゃんなら成人してしまう長さですから。
赤ちゃんほどの成長はなかったとしても、振り返ると、いろんなことがありました。・・・・

以前のお話は学校社会の問題点を前面に押し出してのお話でしたけど、今回は、「生活リズムの乱れ」に警鐘を鳴らすものでした。表現の仕方が少し学校に受け入れやすいものになっていたように思います。

20年数年前、先生の話を聴いて私は息子を起こすのを止め、寝たいだけ寝かしておくようにしました。それはいい対処法だったと、今回、先生から認めていただきました。何より(出席日数や、学力より)も、子どもの命(健康)を第一に考えることが、子どもを元気にさせるということです。

不登校の原因が違ったとしても、命を守ることを基準に判断していけば、大きな間違いはしないのではないかと思います。
命があれば、やり直せるということです。
他の人と足並みが揃わなくても、いいんじゃないかな。