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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2015年12月31日 (木) | 編集 |
以前「自殺は逃げになるのかな?」と言ってた初老の方が、
「残された時間を大切に、燃え尽きましょう。」と言ってくれました。
本当にビックリポンです。とても嬉しい言葉でした。

今年の締めくくりに、とても勇気の出る言葉!
有難いことです。

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2015年12月29日 (火) | 編集 |
・・省略・・・
鯖のお話も、不登校に限らず、思春期の子育てをしている
ものとしても、日本の学校教育につい疑問をもってしまう
のに、子ども達はその波に乗せざるをえない現実と
葛藤しているものとしても、大変気付きを頂くお話です

・・省略・・・
と、ある方からメールをいただきました。とてもとても有難いです。
2015年12月28日 (月) | 編集 |
皆さん、年末忙しくしていらっしゃるでしょうね。

そんな年末、私はちょっと面白い方と出会いました。話をしていると、ほとんど「そうですね」のキャッチボールです。
つまり、この方もいささか「はみだしもの」みたいです。

不安な世の中から少しはみだして、これからも面白い人と人を繋げていきたいです。・・・ちょっとわくわく。
2015年12月25日 (金) | 編集 |
クリスマスは世界的なイベント?なのでしょうかね。でもうちには煙突がないからかなぁ・・・いえいえ「いいおとな」ばっかりだから・・・

昨日初めて知ったのですけど、クリスマスを一人で過ごす人のことを世間では「クリぼっち」とかいうのだそうです。だけど、そんな人が全体の3分の2くらいいるそうです。つまり多数派。
これがいいことかどうかは別にして、ある状態に名前をつけると、その名前のイメージに引っ張られますね。

「不登校問題」について考えると
子どもが当然行けるはずの学校、あるいは行かなければならないいと思っている学校へ行けなくなって、はっきりとした理由が分からず、大人たちがうろたえて考えついたのが「登校拒否」そして「不登校」。

でも、この名前を付けたことが、このことの本質を見えにくくしてしまっているような気がします。

空気汚染のひどい地域で、喘息や気管支炎になって日常の生活ができなくなり、空気のきれいな所に避難する人が増えてきた場合はどうでしょう。この問題を「避難問題」とか「喘息問題」とか呼びますか?これは、その地域の「環境問題」であり、重大な「大気汚染」ですよね。だから、喘息を治そうとすると同時に、大気をきれいにしようと、まだ健康な人も考えると思います。

実は、不登校の問題はこの大気汚染にとてもよく似ていると、私は思っています。そういう視点えでこの問題を考えると、「教育環境問題」とか「学校社会問題」とかになるのかなと思います。

前にも書きましたけど、行政の間で「困難を有する子ども」という表現がありますけど、あれも本当は「困難を生み出す世の中(大人)」とでも呼んで対応すべきですよ。つまり、私達一人一人に責任があるということです。・・・・やっぱりここに行きつくのですよね。

だからもっと言えば、「不登校やひきこもりの子どもをどうにかしよう」なんて、とんだ勘違い!大人がもっと自分を大事にして、仕事(教育)を楽しめるように工夫したらどうですかね。もう何十年同じような間違いを繰り返すのですか。

このことに少しでも気づいて頂いたら、子どもが自らの命を消してしまうという辛い出来事も減ると思います。(無関係な話ではなく、根っこは一緒)
2015年12月22日 (火) | 編集 |
先日、鑑別所の館長のお話を聞く機会があったのですけど、その中で印象に残ったことが一つあります。

「更生させるために、生活にはなるべく不満を感じさせないようにしている」ということです。食事がまずいとか、退屈だととか、不満があると、そのことを考えてしまい、これからどう生きるべきかということを考える時間をそぐのだそうです。
なんか学校や家庭にも当てはまりそうな話だなと思いました。
2015年12月17日 (木) | 編集 |
先日、引きこもりの親の会に参加する機会を得ました。十人位の人が参加されていて、初参加の方も数名いらしたようです。

皆さんの簡単な自己紹介を聞いたのですけど、結構遠方から来られていました。

不登校への対応と基本的なことは一緒だと思いますが、息子さんが35才からひきこもって、現在45才と聞くと、私はほとんど無力です。

その会で一番感じたのは、辛い思いを吐出すことが、元気になる第一歩だと再確認し、そこに親の会の役割があるということです。

今回、私はその場では何の役にも立たなかったのですけど、一つ私なりに分かったことがあります。それは、「子どもが引きこもっている家庭は、外より安全だと子どもから認められた場所」ということです。
だから家族の方々は、まずはそのことに気づいて、胸を張っていいのではないでしょうか。そんなの当事者でないから言えることなのかもしれませんけど、そう考えると何かが開けてくるような気がしたものですから・・・・・。
2015年12月15日 (火) | 編集 |
「不登校」とか「ひきこもり」とか、一言で表現してしまうけど、その実情は様々で、大きく違うようです。だから、「支援」も、相手をちゃんと観察して分かろうとしないと、決してうまくいきません。
「不登校」や「ひきこもり」を減らさなければいけないという立場で動かれる人たちの「支援」は、ややもすると「指導」になりがちのようです。
「指導」になると、「間違った考えを正してやらなければ」みたいなことになります。それでは多分、心は解けません。そんな「指導」を受けると、混乱している人は益々自信をなくしたり、気が沈んだりしませんか?
世間の目が怖い、希望が持てない、情けない等々、暗く閉ざされた心を「指導」で穏やかな明るい心に変えることができますかね?
いわゆる「優しい支援者」の方々も、「仕事の成果」が頭にあると、少し間違った方向に行かれることが多いような気がして・・・・悩ましいです。

先ずは理会することが肝心ですよね。自分に言い聞かせますね。
2015年12月13日 (日) | 編集 |
小さな小さな街のある小さなカフェに入ったら、サンタさんになれそうなおじさんと、トナカイになれそうなおじさんが、コーヒーを呑みながら、談笑していらっしゃいました。
私は、少し遠慮がちにコーヒーを注文したのですが、自然とその話に入っていけました。そしていつのまにか、普段とは全く違うリラックスした自分になっていたようです。

そこへ若い女性アーティスト?が入ってきました。彼女を数年前に初めて見たときは帽子やマスクで顔を覆っていたのですが、今はその素顔を見せています。多分、サンタになれそうなおじさんやトナカイになれそうなおじさんの優しい言葉かけなどの積み重ねがあったからだろうと思います。

外に出ていても、自分の中にひきこもっている人もいます。でも、彼らは人が嫌いなわけではないようです。時間がゆっくりと流れる空間では、じわっと素顔を見せることができるようになるようです。そして、わたしも・・・・・。

ほんの少しの間、無防備なわたしだったかもしれません。



2015年12月12日 (土) | 編集 |
ツリー20151212

2015年12月11日 (金) | 編集 |
君の命は
奇跡と奇跡との出会い
この世に生れ出た命は
ただそれだけで
眩しいほどに美しい

そして その輝きに気づき
自分の命も 他人の命も
同じように大切にできる君は
どんな偉大な人にも
決して劣ることはない
2015年12月05日 (土) | 編集 |
4日前のNHKの「クマロク」で、いじめられた人の後遺症を取り上げていました。ご覧になった方もいらっしゃると思います。
その中で、被害者が語った言葉が、衝撃でした。
彼は、高校時代にいじめにあって、それがもとで2年の終わりに高校を中退し、通信制から大学に進まれていました。

高校時代、仲のいい友達がいたそうですが、その子がいじめの仲間になった時は「足下がくずれたようで、とても苦しかった」と表現されました。彼は、ネットに心情をつづり、母親がそれに気づいて学校が動き出したと記憶していますが、その学校の対応には、憤りを覚えます。
教員(学年主任?)がいじめた子に謝らせ、「こいつらも謝っているんだから、許してやれ」みたいなことを言い、彼が(形だけの謝罪は)受け入れられない」と言うと
教員は「「おれたちがこれだけやっているのだから、申し訳ないと思わないのか!」と、彼の首をしめたそうです。ビックリです。教育に携わる教員が、普通そんなことしますか?!
私は、こんな環境の中では、いじめはなくならないだろうと思いました。いえ、こんな環境だから陰湿ないじめが発生するのではないかと思いました。何が教員を追い込んでいるのでしょうか?

この事例は、訴訟、和解という形で、一応の決着を得ているようですが、つらい後遺症が学校を辞めて9年?も続いたようです。
学校の対応がよければ、訴訟は避けられたのではないかと思います。
いじめ体験を語る青年の手は、ずっと拳を握ったままでした。
2015年12月03日 (木) | 編集 |
90才を超えた女性が「母があっちが痛いこっちが痛いと言っていた時、一々めんどくさいなどと半分腹を立てながら母に言っていたけど、自分がその歳になってみると、母の気持ちがよく分かる」とおっしゃいました。

私の母も「この歳になってみんと分からん」と、言っていたのを思い出します。その通りだなと、私も最近つくづく思います。

同じ立場にならないと実感できないことは多いですよね。本当に相手の立場に立つことができれば、この世から禍が消えるのではないかと思います。・・・
2015年12月02日 (水) | 編集 |
ちょっと笑えない話を聞きました。

小学校の先生たちが「学校は楽しむ所ではない」というようなことを話していらしたとか。
学校に楽しさを求めるのはおかしいとか、学校に来て学ぶのは子どもの義務だとか、そんな内容のことを話され、それに対し誰も「学ぶのは権利ですよ」と指摘する教員がいなかったとか・・・・

もっと変な話も聞きました。あるカウンセラー?の信じられない言葉。正確に思い出せないので、書きませんけど、あちこちで講演したり、新聞にも時々名前が出たりする人、どうしてこんな人の言葉が教員たちの心に響くのでしょうか、分かりません。

楽しく学んだ方が、よく学べると思うのですけど、それって常識だと思っていましたけど、どうなっているのでしょうか?
知らなかったことを知り、分からなかったことが分かるようになり、自分の考えを言葉にできるようになることは、楽しいことのはずなのに。先生方も、子ども達の活き活きと学ぶ姿を見るのは、嫌々我慢しながら仕方なく学ぶ姿を見るより楽しいと思いますけどね。
なんかの間違いだといいのですけど・・・・・