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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2019年04月30日 (火) | 編集 |
「元々学校に合わない子がいる」と言われる方があるようですけど、ちょっと変な感じがしていたのですが、その理由に気づきました。

この言葉は、子どもが学校に合わせるのが前提の言葉ではないですか?本当は学校側(先生たち)が子どもに合わせるべきなのでは?

この言葉を発言された方は「今の日本の学校には魅力を感じない、狭い枠内に収まりきれない大きな可能性を秘めた子がいる」とおっしゃりたかったのかもしれませんね。

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2019年04月27日 (土) | 編集 |
久しぶりに物の整理をしていたら、古い非常食を見つけました。三年前の地震の時にいただいたもの。

賞味期限は2016年12月・・・・・どうしようかと思ったけど、とりあえず開けて食べてみました。お湯または水を注いでしばらく待つだけで食べられるごはん。ちょっと固めだけど食べられましたよ。そして、ぜりー状の栄養食品も大丈夫でした。水も。

そういえば昔、賞味期限内の温泉卵で、娘は食中毒になり、とてもひどい目にあったことがあります。

あなたはどうしますか?
2019年04月25日 (木) | 編集 |
4月は新年度のスタートの月。気持ちも新たに頑張ろうと一歩踏み出しても、期待通りにいかないことは多い。

思い起こせば26年前、小6の我が息子も担任が替わったので、学校に行けるかもしれないと思ったようで、遅刻もせず3日続けていきました。そして帰ってくるなり「先生ばっかいしゃべって、考える時間のなか」と言って、すっかり行かなくなりました。

4月は何かと気持ちが激しく揺れ動く月ですね。

うちの場合は、その後息子がしたいようにさせていたら、お昼まで寝ていたのがしだいに早く起きるようになって、徐々に元気になっていきました。

子どもを信じるていれば、どうにかなっていくような気がします。


幼くして消えてしまう命を思うと、学校に行く行かないで悩んでいるのは、贅沢かもしれませんね・・・・・・・



2019年04月23日 (火) | 編集 |
先日、支援者の立場にある人がひきこもっている人のことを「張本人」という言葉で表現されました。親の会のような委員会でのことです。

「張本人」なんか随分久しぶりに聞く言葉。発言者は自分が何を言っているのか気づいていない様子。

ひきこもっている人は、何も悪いことをしているわけではありません。不登校の子も。私はそう思います。
だけど、このままでいいとも思っていないだろうなと思います。だから苦しむのでしょう。そして親は、その苦しみから救い出したいと思っているはず。子どもはその思いにこたえられないことで増々辛くなるのかも。

ある少年が『夜中に外に出てみようとしてドアノブをにぎるけど、その手が震えて出られなかった』と言った話を、S先生の講演で聴いたのを思い出しました。
経験のない者には理解できない恐怖があるのだろうと思います。それはその人が臆病だということではなく、そんなふうに怯えてしまうほど辛い経験をしてきたということではないだろうか。

そういう思いを受け止めることが支援の一歩に繋がるのだろうと思います。それができたら「張本人」などという言葉は絶対に使えない。
彼らに罪はない。むしろ心ある人として、身を守る自然な反応をしているだけではないだろうか。
そして「張本人」がいるとすれば、自分の利益やメンツしか考えない人達ではないだろうか。

2019年04月19日 (金) | 編集 |
新緑

2019年04月16日 (火) | 編集 |
先日ある会議の前に昼食をと思い、□□□□会館のカフェにいたら、「会いたかったぁ」と美しい女性に声をかけられ、
「あら、私もよ」と、帰るところだった彼女と15分ほど矢継ぎ早に情報交換。なにしろ忙しい人だから。

就職した△△君のことや、ちょっと気がかりな〇〇君のこと。それから家族のこと、福祉施設のことなど。

彼女の話も私の話も、福祉関係の仕事をしている人の中にとんてもなく変な人がいるという点で共通していた。もちろん、ほとんどの方は良心的なのだろうけど。施設を利用する人数に対して補助金が出るようになっているのか、利用をやめないよう囲い込んでしまう人がいるそうです。残念ですけどね。

彼女は正義感が強いので、とても怒っていました。

福祉関連の場所には、困っている人が行くわけですから、自分たちの利益のためではなく、利用者のために働く人にいて欲しいですよね。
彼女も私も、そういう施設を勧めるときは、自分で確認してからにした方がいいという点で意見が一致しました。
そして、プロだからといって仕事ができるとは限らないという点も。

彼女は仕事柄、熊本でどこが要注意か知っているようです。必要な時は聞いてと言ってくれました。

2019年04月13日 (土) | 編集 |
認知症の家族の介護をしている人が、よくこんなことを言う。
「他人の前ではしっかりしてる」とか「介護の人には愛想がいい」とか。そして「だから、よけい腹が立つ」という言葉が続く。

私は最初、きっと他人の前では緊張してるからしっかりするし、家族には甘えがあるから我がままになるのだろうと思っていました。

それで、大変な思いをしてイライラしている人に、何か役立つことはないのかと考えていたのですが、昨日ひらめきました。

他人と家族の違い、それだけではないんじゃないか、決定的に何かが違う。それは表情!つまり笑顔。

お見舞いに来る人も、介護のプロも、認知症の人に怒った顔では近づかない。「こんにちは」という時はきっと穏やかな笑顔のはず。

疲れ切っている家族は笑顔になれないでいる。「またそそうして!」と、鬼のような形相になっているはず。それでは逆効果だ。

認知症になっても、表情は読み取れるし、心に残ると聞く。

自分が楽になるためにも、笑顔で接してみたらどうだろう。最初は形だけでも、しだいに心がついてくるような気がするけど。

プロの人たちは、笑顔の効力をしっているに違いない。にこやかに接することで、相手が自ら体を動かし、楽に仕事ができることを。

これは、子どもにもきっと通じることじゃないかな。
2019年04月09日 (火) | 編集 |
先日、男声合唱を聞きにいきました。大盛況?で、劇場はほぼ満席。私は幾分早く着きましたので、わりといい席に座ることができました。

一階中央付近の通路側の隣の席が一つ空いていましたので、「そちらいいですか?」と初老の紳士の隣に座ったのですが、話しかけたら、男声合唱を長くやっている方で、いろいろお話してくださいました。
その方によると、発声練習が楽しいのだそうです。思いっきり声を出せるのがいいとか。曲作りになると、そういうわけにもいきませんからね。それから健康にいいからともおっしゃっていました。

それにしても合唱をしている方はとても多いみたいです。公民館の団体ならお金もわずかで済みますしね。何より体一つあればできるから、お勧めです。でも、この日の出演者は、趣味の領域を超えた方が多かったようですが。

ある団体の中に一人だけ楽譜を持って歌う方がいらっしゃって、気になって見ていると、とても堂々としてお上手そうでした。多分ですけど、あまり練習はしていなくても、ちゃんと歌える人なのだと思います。

それから、身軽な指揮者がいらっしゃって、指揮台にひょいと飛び乗って、それはそれは踊っているかのような指揮(曲もそんな感じの曲)。目からの刺激も加わって、楽しかったです。

最後に合同の演奏は、なんと260人の大合唱。だけど、ビンビン、ガンガンという歌い方ではなく、みなさん控えめ?だったのかな。
一人一人の声は判別できなくても、口の動きや姿勢で、その腕前というか、歌への姿勢は推し量れます。

そして立場上気になったのは、最初に歌った少年少女たち。お行儀のいい歌い方。もう少しはっちゃけてもいいんじゃないかな。一人とても元気な子、いましたけどね・・・・。
2019年04月04日 (木) | 編集 |
「勉強」という言葉が、「学習」という意味で使われるようになったいきさつについて、あるテレビ番組で説明されていました。

そして「ランドセル」の意味や子どもがそれを背負って学校に行くようになったわけも話されていました。

それらは「富国強兵」という言葉と繋がっているのですって。やっぱりって感じです。

江戸時代までは違っていたようで、子どもたちはもっと生活に必要なことを学んでいたようですが、明治以降「富国強兵」の名のもと強い国になるため役立つ人材を創り出そうとして、子どもたちに辛い勉めを強いていたのが日本の「学校」の始まりらしいのです。

「スクール」には「暇」という意味があると、ある先生から聞いたことがありますが、「学校」とはかなり違いますね。

重いランドセルを背負わせるのも、鍛えるためだったようですから、そもそも「学校」は「楽しく学ぶ所」とは、かけ離れた場所だったようです。
2019年04月03日 (水) | 編集 |
昨日は、面白い一日でした。
朝9時頃、ある農作業のお手伝いのイベントに参加するためにバス停へ急いでいたら、知人が選挙演説をしていて、「どうしてこんなところに?」と驚かれ、「地震の後、引っ越してきたの」とこたえ、「お母さんからはお便り頂きましたよ。よろしくお伝えください」と言って別れました。

そして無事目的の施設に着き、自己紹介をして仲間に入れてもらったのですが、皆さん優しい方々で、とてもすんなり溶け込めました。

そしてひと仕事して、お昼をみんなでいただきました。参加者は殆ど大人だったのですが、一人7歳の女の子が(お母さんのような)お祖母さんと参加していました。その子の前の席に座って、いろいろおしゃべりしながら食事をしました。
お祖母さんは「娘は叩いたりして厳しく育てたんですが、この子にはもう怒らない。楽です」と言われていました。

午後のお手伝いも終わって帰り支度をしていると、7歳の子が遊びたがるので、ちょっとつきあっていたら、なぜか童心に戻った、、というより、童心になることができて、鬼ごっこを楽しんでいる自分を発見し、ビックリでした。

笑いながら走り回って、私大丈夫かなと心配しながらも、7歳の子の心をわしづかみ?本当に楽しかった。

それから同じ建物内でよく知っている青年が働いていることが分かって、久しぶりに元気な姿を確認し、近況などを聞きました。

彼はいい仕事仲間に恵まれ、楽しく仕事をしているようでした。頼もしくなっていました。

いろんな人と会って、農作業をして、鬼ごっこして、少年から青年に成長した知人と情報交換して、その日の収穫物をたくさん袋に詰めて報酬?として持ち帰りました。ちょっと疲れたけど、面白い一日でした。