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💓不登校は命を守る自然な反応💓決して怠けではありません ◆★◆それでも、学校に行ってほしいと多くの人が必死になるのも分かります。でも、必死になるとかえって事態を悪化させてしまいます★💓★「不登校にもなれなくて無理を続けている子」も忘れず❤不登校の親を経験して学んだ事を、常識から気ままにはみ出しながらつづります(^-^)❤
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2019年06月26日 (水) | 編集 |
新しいパソコンと格闘。どうにかブログやメールなど、たどたどしく使えるようになりました。

他の人と共有しているパソコンなので、変なことしないようにと思いますけど・・・・

とりあえず一安心。

パソコンも「完了」と表示が出ても、使えないこともあるんですね。機械もいまいちだな。

人間は複雑すぎるのか・・・・。

科学が進化すると、「命」も解明されていくのだろうけど、
わたしの予想では、どの「命」も「存在するだけですごい」ことだと分かるはず。

と自分を励ましつつ、今夜は寝ます。
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2019年06月19日 (水) | 編集 |
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揺れると柔らかくなるのかな・・・
2019年06月15日 (土) | 編集 |
ある政治家の発言を聞いていて、痛みを知らない人、不安のない人は、困り感のある人に寄り添うことは難しいのではないかと思いました。全く不可能とまでは思いませんけどね、人には想像力がありますから。


先日ある不登校経験者の話を聴いて、「こんなに長く辛い日々を経験して、どうしてこんなに冷静に語り、辛かった経験を『よかった』と肯定できるのか・・・・・。

その人の経験のあらましは、まじめな登校、訳の分からない突然の不登校、高校留年、中退、楽しく充実した高校・大学生活、
そして優秀なサラリーマン。
過労で鬱、入退院を繰り返し命が危うくなり退職。そして支援団体での経験で夢を見つけ、現在起業して活躍中。

あまりにざっくりとした説明で申し訳ありませんが、この人の経験をどうとらえるかは人それぞれだと思います。

この方の両親は子どものことを大切に思われていたようです。ただ、不登校はよくないことで、なんとか学校へ行ってほしいと思われ、あらゆることを試されたようでした。

子どもが鬱になって、いよいよ命が危ないとなって「命が大事」というシンプルな思いに辿り着かれたようです。さんざん失敗を重ね、試行錯誤の末にたどり着かれた「答」だったと思います。

言葉としては色んなところで色んな人が発っしている言葉です。「答」はあちこちに小石のように転がっています。

私たちはその小石を踏んだり、その小石につまづいて存在に気づいたり、ちょっと拾い上げたりもします。でも、自分の手の中にもっとキラキラした小石がたくさんあると、その小石を握りしめることができません。

自分の手の中にある他の小石をいったん脇に置いて、その「命が大事」という小石だけを握りしめることができたら、
きっと凸凹道を歩くのが楽しくなると思うのですけど。
2019年06月09日 (日) | 編集 |
最近、引きこもっている人や、そんな状態の子どもを持つ親の事件が続いて、相談件数が何十倍にも膨れ上がったそうですね。

今までどうしていいか分からず、誰にも相談できないでいた人達が動きだしたのはよかったかなと思います。

だけど、ちょっと気になるのは「早く治したい」「早く動き出してほしい」という保護者側の切実な声。そんな気持ちは、動き出したいのに動き出せないでいる人にさらに重くのしかかるのでは・・・・・・

あるニュースでは「(長く動き出せない人は)それだけ苦しんでいるということです」と保護者に訴えている支援者の声を伝えていた。

そのことを気づかせるのはとても大事だと私も思う。もっと子どもの気持ちをくみ取ってほしい。そして焦る保護者たちの気持ちも汲みとらなければ。

一杯いっぱいになっている人に正しいことを伝えようとしても難しい。辛さを丁寧に聴きとることが先ずは必要だと思う。

そして、負の連鎖を断ち切ればいいとも言われていた。

その一つとして、「引きこもりはいけないこと」という考えを見直すというのはどうですか?

犯罪って、普通に社会生活をしているようにみえている人の犯罪が実は多いのではないのかなぁと思うけど・・・・

私ならどうするかな?

誰もが利用するトイレに花を置き続けるとか、心地いい音楽を静かに聞くとか、美味しそうな香りを漂わせるとか、たわいないおしゃべりのできる人を招くとか、無理なくできることを気長に続けてみようとするかな・・・・・


2019年06月04日 (火) | 編集 |
今朝テレビを見ていたら「苦登校」という言葉を耳にした。「不」ではなく「苦」。学校に行かない子ではなく、苦しいの休めず学校に行き続けている子、みたいな説明だった。

そして、そういう子の中に、社会に出てからひきこもる人が多いとも言っていた。

私もしっかりした根拠はないけど、随分前から学校に無理して行き続けている子どもがいて、社会に出て力尽きたように動けなくなる人がいると感じていた。我が子が不登校になってしばらくしてから。


でも、「不登校」「隠れ不登校」「苦登校」どんな言葉で表現されようとも、子どもは一人ひとり個性ある存在で、とても尊い命であることになんの違いもないと思う。

そのことは自分の肝に銘じておく。